中京医薬品・会長のブログ

山田正行
※旧・社長のブログ
090: 品質の高低は人の品質の高低

※著書「心のしずく」より 〜アーカイブ100回連載シリーズ〜
※この記事は、平成八年〜平成十六年にかけて執筆されたものです。


 この十月一日より営業統括本部に“原点(信頼.先用後利)を継承し、仕組みを革新し、品質を躍進させる”をスローガンに品質管理部が新たに発足することになった。と同時に、この部署の中で同目的であるISO品質方針を具体的に推進してゆくものである。

 この品質管理部の最大の目的は仕事の品質をいかに高めていくかに尽きる。仕事の品質とは顧客満足と社員満足のことを言う。

 顧客満足とは「先用後利」をもとに、高品質・ロープライス・高品質のPB商品による「トータルライフケア」の大戦略を駆使しながら、如何にお客様の役に立つことが出来るかである。

 社員満足とは高い使命感と誇りをもって、より高い目標に向かって挑戦し経営理念を具現化するための「やりがい」のある職場環境を創出すると同時に、お客様と組織から正しく評価されることである。

 顧客満足も社員満足も、その原点は「信頼づくり」である。当然この部署は目的から言って営業部と二人三脚の関係にある。現場の営業部を側面より支援しタイムリーかつ適切な助言指導を行ってゆくものである。その任務はあくまでも脇役であり、主役は現場一人一人の皆さんである。

 その基本方針及び実施事項は以下の通りである。

〈基本方針〉

(一)人間性と生産性の向上
(二)規律、礼節、良識のある職場づくり
(三)理念、方針を共鳴させ、夢・プライドの持てる環境づくり
(四)プロフェッショナル集団の育成
(五)ISO品質目標の達成

〈実施事項〉

(一)コンプライアンス(法令遵守)、社内ル−ルの監視と指導
(二)社員の品質管理
   (1)人間性向上のための教育研修
   (2)社員とのヒアリング、指導
(三)商品・顧客・金銭・時間・コスト・情報の管理・理由書の管理
(四)事務研修、指導
(五)新規出店関係

 古今東西を問わず、お客様の信頼を失って存続する商店も企業もない。またやりがいのない職場環境において繁栄した商店も企業もない。組織の大小を問わず、その品質の高低はまさしくそれを構成する一人一人の品質の高低に正比例する。

平成十五年九月三十日


カテゴリー:著書「心のしずく」より
089: 経験は人生最良の師

※著書「心のしずく」より 〜アーカイブ100回連載シリーズ〜
※この記事は、平成八年〜平成十六年にかけて執筆されたものです。


 先頃PHP研究所より『トップが綴る「我が心の支え」なぜ挫けなかったのか、なぜ頑張れたのか』が発刊された。この中に私の執筆したテーマ「負けてたまるか只今修行中」が掲載されていますので案内します。

 人生は山あり谷ありで、よくも様々なことが次から次へと起きてくるものだ。「人間万事塞翁が馬」で禍福はあざなえる縄のように変転して定まることがない。だから事あるたびに、いちいち一喜一憂していたのでは結局自分を見失ってしまう。常に自分の拠って立つ足下をしっかり固め、目は遠くを望んでいなければならない。ことに臨むときは「何をする」の前に「何のために」という目的や原点を深く肚に落としておかないから、徒らに右往左往し取り乱すことになる。

 いまやむを得ず不遇にあるが、何があろうとも志だけは高くもち続け牛歩でもいい、一歩一歩と前進の努力を重ねることだ。決して焦ることはないのだ。心配のしだめと飯の食いだめは百害あって一利なしだ。先々の余計なことを推量する暇があるなら、ひとつでも今出来ることに最善を尽くすことだ。

 もともと人間は経験するために生まれてきた。経験は人生の最良の師だ。とりわけ艱難辛苦にあるときは、「まだまだ」只今修行中だと思うことだ。後になってその貴重な経験は間違いなくボディーブローとなって効いてくる。

 周りを見渡せば出来の悪い奴に限って大してしていない苦労を大袈裟にして鼻にかけるものだ。泣きごと恨みごとや、はじめから実力もないくせに「落ちこむ」というようなことを恥ずかしげもなく口癖のようにして言うものだ。こういう連中はいっそのことどん底へでも突き落としてやったほうが早く目が醒めていいかもしれない。宙ぶらりんの中途半端だからいつまでたっても駄目なのだ。一度折れた骨はかえって前より丈夫になると言うではないか。

 人生の主役はあくまでも自分だ。忌ま忌ましい憎き敵役は主役の自分を引き立ててくれる、必要不可欠にして大事な脇役なのだ。ただし、主役になるには何よりも自助自立の精神が肝要だ。自分が自分に頼まなくて誰に自分を頼もうと言うのか、自分が自分を信じなくて誰が自分を信じてくれるというのか。世の中はお互いに支えられて、生かされ生きているが、主体的に生きてこそよく生かされるのだ。願わくは平坦な道は避けて、進んで坂道を選べ、できる限り重い荷物を背負って。そうして初めて生き抜く逞しさとほんとうの優しさが養われていくのだ。

 朝のこない夜はない、春のこない冬はない、あなたのいない明日はない。

平成十五年八月三十一日


カテゴリー:著書「心のしずく」より
088: 言葉は使い方で毒にも薬にも

※著書「心のしずく」より 〜アーカイブ100回連載シリーズ〜
※この記事は、平成八年〜平成十六年にかけて執筆されたものです。


 肝胆相照らすがごとく何でも言い合える友、心の底から打ち明けられる友がもてたらどんなに心強いことか。お互いに厚い信頼の絆で結ばれ、時には叱ってもらったり、励ましてもらったり、教えてもらったりで良き相談相手がもてたなら、何と人生にうるおいと安らぎができることか。

 そういう親友、畏友、師友が一人でももてたら、人生のかけがえのない宝ものであり、これに過ぎる幸福はない。不幸にも、もしそういう友が一人もいないとしたらいかにも寂しい人生だ。

 友がつくれるか否かは相手がどうのこうのというより、ひとえに自分自身のあり様にかかっている。友を求めるとき果たして自分がそれに足りうる人間かどうかが問題である。そのことをしっかりと自省しておくことだ。

 そこで勘違いをしてはならないことがある。

 何でも言い合えるというのは、逆に言えばこれだけは絶対に口に出してはいけないという言わず語らずの暗黙の聖域がある。しかし常にバカはミソもクソも一緒にしてしまう。

 世の習いとして人生の知恵として、これだけは犯してはならない。おおよそ次のような不文律みたいなものがある。

 他人に触れられたくないプライバシーに関すること、よその家庭や家族に関わること、身体に関わること、相手の友人にまで及ぶ悪口雑言、宗教宗派に関すること、土足で人心を踏みにじるようなこと等々が挙げられる。よくあることだが忌憚のない意見をどうぞと言われても本音と建て前があるので、決して真に受けてはならない。よく相手の状況と自分の立場を見極めなければならない。

 人それぞれ生き方考え方は様々なので、言い合えるというのはその前にお互いに尊重する気持ちが通じ合っているか否かが大事である。

 信頼を得ていないのに直言忠言しようものなら、かえって相手の心証を害して思わぬ反発を食らうことになる。親。兄弟、親友と言えども「のり」を決して越えてはならない。あらゆる人間関係は例外なく親しき仲にも礼儀ありなのだ。どうしようもないバカは前後の事訳や自分の立場を弁えず、不埒にして不遜な態度でその垣根を越して相手の庭に不法侵入してしまう。覆水盆に返らず、後の祭りで取り返しのつかない禍根と怨恨を残すことになる。

 あの一言だけ断じて許せないということがある。その放言失言は関係を修復するのに多大な時間とエネルギーを要する。飲み会などで本席は無礼講だと言われて図に乗ろうものなら、後から手痛いしっぺ返しを食らうことと全く同じことだ。バカとハサミは使いよう、言葉は使い方ひとつで毒にも薬にもなる。

平成十五年七月三十一日


カテゴリー:著書「心のしずく」より
087: バカは死んでも治らない

※著書「心のしずく」より 〜アーカイブ100回連載シリーズ〜
※この記事は、平成八年〜平成十六年にかけて執筆されたものです。


 信頼の関係はおかげさま。お互いさまで成り立つ。人さまから信頼を得ようと思えば、先ずその前に自分の方から信頼を寄せなければならない。相手にもよるし、自身の人品骨柄もあって長い時間の辛抱と誠意が要る。そうそう一朝一夕にしてつくれるものではない。

 自分が相手の立場になって考えれば自ずと分かることだが、これが備わった人は多くない。その理屈は百も承知なのだが実際にできるかどうかとなるとむずかしい。自分を無にし、その間の空しさや淋しさは辛いものがあるが、それを越えないとこの境地に近づけない。

 「この俺が俺が」と我を張っているうちはまだまだだ。それには先ずよく自分を知り、そして相手をよく知ることから始まる。人というのは人のことは細部までよく見えるものだが、いざ自分のことになると盲目になるものだ。人には厳しいが自分には甘いのだ。

 勝手なことを言いたい放題言う奴に限って、その言動に責任をとった奴はいまだかって
見たためしがない。何様のつもりか知らないが事訳もよく分からないくせに浅はかにも図に乗ってしゃしゃりでてくる奴にいたってはもはや救いようがない。こういうバカは身近にゴロゴロといる。

 バカは死ななきゃ治らないというが、ほんとうのところはバカは死んでも治らない、延々と際限なくあの世へと引きずっていく。バカと利口の差はその尺度によってはいろいろあろうが、バカは自分のことを棚に上げて他人のせいにする。利口は他人のことは棚に揚げて自分のせいにする。それぞれ上げるものが違うのだ。

 利口は、今日あるのは身近な人をはじめ多くの人からのおかげだと感謝し、うまく行かなかったら自分の身から出たサビと考える。バカは人さまから大なり小なりお世話になっていながら、バカ故に分からず、感謝の気持ちなどというものは露だにもない。バチ当たりなのだ。先々こんな奴にいい人生はありえない。どこかで必ずその報いがくる。自分のみならず家族や子孫まで。

 要は自分のおかれた立場をよく弁えることだ。前後の事訳を知らずして不用意な言動は慎まなければならない。とりわけ無責任な生半可な情報の提供はどれほど事実を歪め人を傷つけてしまうことか。憎むべき犯罪に等しい。また恨みに根が生えると、陰に陽に攻撃を仕掛けてくるのも人間の性状なのだ。まいた種は自分で刈り取らなければならない。

 世の中良きにつけ悪しきにつけおかげさまとお互いさまの原理が働いている。

平成十五年六月三十日


カテゴリー:著書「心のしずく」より
086: 言葉は人格

※著書「心のしずく」より 〜アーカイブ100回連載シリーズ〜
※この記事は、平成八年〜平成十六年にかけて執筆されたものです。


 人は転ぶと坂のせいにする。坂が無ければ石のせいにする。石が無ければ靴のせいにする。自分のことは棚に上げて他のせいにする。ああ言えばこう言うで、その種にはこと欠かない。よくもまあしゃあしゃあと、どの顔をひっさげて言うのか、怒りを通り越してあきれかえる。こういう奴にはそういう生き方が長年にわたってアカやシミとなってこびりついていて無意識のうちに言葉がついて出てくるから余計に始末が悪い。

 また当人のいないところでけなしておいて、他方では自分のことを自慢する奴ほど見苦しく、聞き苦しいものはない。虫が耳の中に入り込んできてガサガサとやる。こういう歓迎せざる雑音は耳障りで鼻持ちならない不快の極みだ。こういう奴は最も信用のおけない最低の奴だ。仮に出来たとしてもだ、自慢したとたんその価値は消え失せる。

 ある人は立場が弱かったり、よく実情をのみこんでいないが故に一応は聞いているふりをしているが腹の中はこのバカはと軽蔑している。またある人はこいつはどれくらい愚か者か計りながら聞いている。

 おおよそ自慢する奴は自惚れが強い。自分のみが自分に酔いしれている頓珍漢で、周りの人は大して評価などしていないのだ。虚しくて哀れなことだ。こういう奴に限って先ほどまでの威勢や剣幕はどこへやらで都合の悪い相手には面と向かうと、しっぽを巻いて逃げ出すかあるいは借りてきた猫のように大人しくなるのが通りの相場だ。

 おかげさんという感謝や人への配慮などは毛頭ないのだ。「一将功成って万骨枯る」でこういう愚かな上司のもとでは部下はたまったものではない。早晩人心は乱れ、やがて組織は瓦解する。

 また「口は災いの門」というが同じ人でも朝晩には見違うほど変わったり、相手によって言うことが変わる、そういう人間の多面的な性状や前後の事情を知りもせず、かたよった情報の早のみこみで浅はかな軽はずみな言動には厳に慎まなければならない。沈思黙考という言葉がある。浅い川はやがて深い川に呑み込まれる。短慮は深慮には到底かなわない。

 言葉は人格そのものだ。よくよく考えて使うものだ、加えて人間言っていいことと言ってはいけないことがある、たとえ口が裂けようともだ。バカはそのさじ加減が分からない、ミソもクソも一緒にしてしまう、後でしまったと思ってももう遅い。こう言ったら相手はどう思うか差引の心のソロバン勘定をはじけないようでは処世できない。とりわけ人を口撃したら必ず倍以上のしっぺ返しが自分にくることを覚悟しておけ。人間関係はたったの一言ですべておしまいになることがある。肝に銘じておけ。親子、兄弟、友人はもとよりだ。

 実情をよく知り、人をよく見、自分をよくわきまえて使う言葉こそ信頼を得る第一歩になる。

平成十五年五月三十一日


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