中京医薬品・会長のブログ

山田正行
※旧・社長のブログ
095: 基本から入って基本に戻る

※著書「心のしずく」より 〜アーカイブ100回連載シリーズ〜
※この記事は、平成八年〜平成十六年にかけて執筆されたものです。


 家屋の基本は言うまでもなく土台だ。土台をおろそかにしたら、いくら屋上に屋を重ねても砂上の楼閣に過ぎない。習い事、芸事、スポーツなど総てはまず基本を修めることから始まる。基本なくして応用はない。基本が出来てこそ技量が磨かれ腕前が上がっていくものだ。

 日本のプロ野球の選手が憧れの大リーグに行って一番体得してくることは、大リーガーは徹頭徹尾基本に忠実であるという点だ。基本を修得するには、その重要性を十分に理解した上で、繰り返し繰り返し全身にしみこませていくことだ。どのプレーヤーも練習は基本づくりから始めるが、特に一流プレーヤーと呼ばれる人々は例外なく最も基本にこだわり、大事にする。

 さて配置の基本は何か。先用後利により先ず初めになすべきことは心を配ることだ。その後だ、薬を配るのは。売るのではなく、情報の提供や助言を通してタイムリーにお手伝いをしていくことだ。そして、その結果売れて行くのだ。自分がお客様だったら、どうしてもらいたいのかを常に考え尽くしていなければならない。一〇〇%そのことを思ってお客様に接することが肝要だ。

 お客様は判断するとき、こちらの物差しでは計りきれない様々な価値観による物差しをもっている。また色々の目で営業マンの動向を見極めている。提示される商品を云々する前に、まっ先に営業マンの姿勢や気配りを注意深く見つめているのだ。それはそれはこちらの想像する以上にだ。この人は私にとって有益な人なのか、本当に私のことを思って言ってくれているのか、ただ物を売りつけようとしているだけなのか、信用がおけるか、と言うように。だから接客にはお客様の心理心情をしっかりと全神経を集中してつかんでおかなければならない。

 更に言うならば、お客様と営業マン、買い手と売り手というような対立の構図ではなく、心が通い合う「人と人との関係」「喜び分かち合う関係」として位置づけ、双方の利益を共有していくことを考えるべきだ。そして次の段階で薬を配ることになるが、その基本は何か。

 今日の仕事が明日につながるよう、種まきをしているか。次回の訪問がお客様と共々楽しみになるようにしているか。お客様の特性、要望、隠れた欲求、家族構成、季節などを考えて、種類・数量を配置しているか、だ。そのためには、目標計画について、具体的な数値を明示しなければならない。

 更に商品の出庫、手持在庫はどうか。トランクの中は整然となっているか。品切れ、使用期限切れ、過不足はないか。商品の勉強をしているか。車内外は清潔に整理整頓されているか。迷惑駐車していないか。身だしなみはさっぱりしているか。動作はテキパキとしているか。気持ちの良いあいさつはできているか、等々

 肝に銘じよ、常に基本から入って基本に戻るのだ。すべて基本のなかに答がある。

平成十六年二月二十八日


カテゴリー:著書「心のしずく」より
094: 目標を持たせて自助自立を

※著書「心のしずく」より 〜アーカイブ100回連載シリーズ〜
※この記事は、平成八年〜平成十六年にかけて執筆されたものです。


 評価というものは、なかなか難しいものだ。見る人のものさしによって、そのつける点数にバラツキがあるものだが、こと自分が自分を評価するときは人からもらう評価に比べ自分への点数は極めて甘い。

 極悪非道の限りを尽くしたあの暗黒街の帝王アルカポネでさえ留置場の看守人にこうもらしたそうだ。「俺は世間から非難を浴びるほど、そんな悪い人間ではない、俺は今までにいいことを一杯してきたつもりだ」と。

 人間は自分の都合のいいように、いろいろと理屈をつけ、端から見ると見苦しいほどに自分を正当化する動物のようだ。おおよそ人からの自分に対する評価は、自分が自分を評価する点数の一〇%からせいぜい三〇%ぐらいに思って丁度いい加減だ。世の中を渡るときは、時として自己主張もいいが常に慎み深さと謙虚さを心がけることが肝要だ。そうでないと結局は笑い者になる。

 話は変わるが、過日、老人福祉の介護士さんから老人の自助・自立についていい話を伺った。

 「老人を椅子から立ち上がらせようとすると『さあ立ちましょうね』と言って老人の手を取ります。そのとき介添人が老人の手を取ろうとすると、老人は一〇人が一〇人とも決まって片一方の手でどこかにつかまりながら立ち上がろうとします。それは、老人にとってあなた任せが少なからず不安にさせるからです。しかし老人の方から自主的にこちらの手を握らせようとすると、そのまま立ち上がってきます。老人は自分から能動的に相手の手を取ることによって全身の筋肉が上手く機能して自分の行動を自身でコントロール出来るからです。つまり、『こちらから老人の手を取る』のではなく『老人の方からこちらの手を取らせる』ことが重要なポイントだということです。
 そして、もう一つ大事なことは、目の不自由な方には特にそうであるが、目指す方向をきちっと示すことです。それによって目標を持つことのやりがいや頑張ろうという意欲を持つことが出来るからです。」と。

 このことは、同様にビジネスの世界においても管理者が部下を指導育成していくときにも言えることだ。手助けを通り越して何から何までやりすぎてしまっては部下の自助自立を育くんでいく上で決してためにならない。それどころか、応々にして管理者は部下をダメにしていることが多い。

 励まさなければならないときに批判したり、支えるべき時に叱責する。また耳を傾けなければならない時に一方的に喋ってしまう。注意しなければならない時に見て見ぬふりをする。こういう管理者が組織を蝕んでいく、人を腐らせていく。

平成十六年一月三十一日


カテゴリー:著書「心のしずく」より
093: 別れに出会い以上の意を砕け

※著書「心のしずく」より 〜アーカイブ100回連載シリーズ〜
※この記事は、平成八年〜平成十六年にかけて執筆されたものです。


 本年二〇〇四年一月七日付けを以って九項目から成る株式会社中京医薬品の倫理綱領を制定することとなった。これから会社が企業市民として、また地球市民として組織の果たすべき使命と役割及び一人ひとりの有るべき姿勢と行動指針を明文化したものである。この九項目を理解し、中京医薬品の一員として、その遵守.徹底を誓い、各自にてこれに署名し携帯するものである。

 概要は次の通りである。

 一、質の高いサービスの追求
 二、倫理観のある行動規範
 三、やりがいのある職場環境
 四、積極的なコミュニケーションと企業情報の開示
 五、公正で公明な取引と自由な競争
 六、民事介入暴力・反社会的勢力との関係遮断
 七、社会貢献活動
 八、地球環境への取組み
 九、役員.幹部社員の責務

 さて、出会いと別れは世の常ではあるが、出会いは懇切丁寧にしても、いざ別れとなると粗末にして軽んじる人は多い。これは一体どういう訳か。出会いは、やがて巡り会いにつながって行くというのに。人間、別れの時ほど、その本性・正体を現わすものはない。

 出会いから始まって、それまでの間に、どんなに格好良いことを言ってこようが、別れのときの有り様ひとつで、いとも簡単にその人間の評価は決ってしまう。世間は実に狭いものだし、また人間関係は幾世代にわたって延々と直接間接的に関わっているから、良きにつけ悪しきにつけ、巡り巡ってその因果の報いが来るようになっている。

 いい別れ方は後になって陰に陽に、どこかで誰かが味方になってくれるが、反対に、悪い別れ方は波及的に悉く敵をつくることになる。「立つ鳥後を濁さず」というが鳥のようなものでも飛び立つときは、自分の去った後を濁さないように気を付ける。まして人間であるから見苦しくないように、後ろ指さされないように、きちんと後始末をすることが大事だ。

 別れには、それに至るまでの事情があったり、また仮に気分のよからぬことがあろうとも、その段になれば、いさぎよさと、さわやかさがなくてはならない。周りの皆から惜しまれるようにならなくてはならない。間違っても人の迷惑やひんしゅくを買うような言動は厳に慎しまなければならない。別れというのは、出会いのとき以上にその数倍も意を砕くものだ。それが礼儀作法であり人の道というものではないか。

平成十六年一月一日


カテゴリー:著書「心のしずく」より
092: 鏡は鑑

※著書「心のしずく」より 〜アーカイブ100回連載シリーズ〜
※この記事は、平成八年〜平成十六年にかけて執筆されたものです。


 鏡ほど正直で恐いものはない。

 加減せず、ありのままに姿を映し出すからだ。鏡の中の自分はまさしく自分であり又他人である。自分が怒れば相手も怒る。自分が笑えば相手も笑う。口先だけの自分に相手も口先だけとなる。目先だけの自分に相手も目先だけとなる。また他人は自分の鏡になるし、同時に自分も他人の鏡になる。お互いが鏡となって映し出す。他人を害したら自分も害される。他人を助けたら自分も助かる。他人を好いたら自分も好かれる。他人を信頼したら自分も信頼される。

 「人のふり見て我がふり直せ」で日頃周りには勉強になる題材はいたる所に一杯転がっている。ただし、気を付けていればのことだが。いいところは取り、悪いところは捨てる。いい人はなおのこと、悪い人は自分にとって反面教師になる。

 「他山の石」で他人の言動は、すべて自分の修養に役立つ。それをボケッとして見逃すのか、あるいは、それを他人事とせず自分のことのようにして受け止めるかで人間、後になって差が出来る。

 良きにつけ悪しきにつけ、自分のしたことは必ず自分の身にふり返って来る。親は子の鏡というが遺伝子として身体の細胞のみならず精神のひだにまで、あらわれる所に子々孫々幾世代にわたって受け継がれて行く。死んでいようが生きていようが、そこからは誰も逃れることは出来ない。さらに血は汚いもので、いやが応でも付いてまわって離れない。

 「積善の家に必ず余慶あり」で善行を積んだ家に幸福が訪れる。善行とは何も大袈裟なことではなく身近に一杯有る。これ見よがしでなく、なかなか目立たない行いのことだ。今すぐ喜んでもらえなくてもいい、いつかは心底から喜んでもらえばいい。間違っても恩着せがましいことをするな。物欲しそうに直ぐその見返りを求めるようなことをするな。それをした後から、とたんにその意味は消え失せる。

 好むと好まざるにかかわらず積善は廻り回って自分や子孫に正直に還って来るのだ。このことが善悪に応じて必ず報いが来る「因果応報」の原理であり、幸福の道理なのだ。

 概して人は他人には厳しく自分には甘いものだ。人を咎める時の目をもって自分を点検し、寛容な目でもって人の行いを許すことも大事だ。人を見る目で自分を見、自分を見る目で人を見ようではないか。

 「鏡」は「鑑」と同意語だ。常に他を手本としながら、謙虚に自分を振り返り、自分を戒めるのだから。

平成十五年十一月二十九日


カテゴリー:著書「心のしずく」より
091: 生まれつきの資質よりも日頃の努力

※著書「心のしずく」より 〜アーカイブ100回連載シリーズ〜
※この記事は、平成八年〜平成十六年にかけて執筆されたものです。


 「俺は天才は嫌いだ。凡人が努力して得た能力を尊ぶ」と、日本史上希有な天才である織田信長の言葉である。生まれつきの資質よりも日頃からコツコツと地道に努力精進をして身につける能力の方がずっと有用だ。だから、そういう人物が大好きだと言うのである。

 さぞかし天才は当然天才を好むだろうと思いきや、さにあらずで天才嫌いなのである。天才だからこそ天才のもつ弱点・欠点を知り尽くし、凡人の強さ、良さを熟知した言葉である。

 天才は応々にして、わがままで、気分屋で、周りのことなど考えない。ちょっと良いとすぐ天狗になっていくパターンが多い。振り向いたら後には誰もついてくる者がいなくなり、結局チームにとって鼻持ちならない厄介者となる。

 組織は、あくまでもチームワークで仕事をするもので、突出した能力よりも平均以上の能力を持つチームがいい。こういうチームはお互いに切磋琢磨して個々の能力を限りなく高め、結束を固め、相当の力を発揮するものだ。自分が凡才だからと自信を失いかけている人には大いに勇気と希望をもたせてくれる言葉だ。

 世の中いかなる分野であれ、古今東西おおよそトップというのは努力と工夫が、やがては開花結実することを期待し確信しているからこそ、そういう人物を重用し、かつ求めて止まないのだ。だから地に足をつけ焦らず、臆せず、怠らず自分の使命役割をしっかりと果たしていくことだ。打たれても打たれてもヘコたれずに、ひたすら前へ前へと向かってくる人間には結局誰もかなわないのだ。

 所で皆さんに誕生日メッセージを贈るために予め直属の上長からの情報メモが人事課を通して回ってくる。そのメモのなかで少々気になるコメントがある。それは「どんな時も文句一つ言わず黙ってやってくれるので大変助かっている」である。

 一見良さそうに思う所だが、実は心配なことだ。結果的にイエスマンづくりをしているのではないかと。面従腹背で口と腹と違う人を作ってしまう。また「伸び伸びとやらせています」と言うのは結構なことだが、勘違いしてはいけないことがある。のびのびと言うのは、小事のことほど大事に考え、細心の注意を払って一つひとつ着実に手を打っているからこそ生じる精神のゆとりを言うのだ。

 思い込み、思い過ごしは見当違いのもとだ。

平成十五年十月三十一日


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