思うままに No.274

   

※エッセー「思うままに」より 〜毎月更新〜

 

 今の人は昔の人と比べると辛抱が足りない。物が豊富ないま贅沢さえしなければさほどの辛抱しなくともどうにか生きていける。豊かになることはいいに決っているが物に恵まれ過ぎるとかえって欲の皮がますますつっぱる。そうして普通では当り前でないことが当り前と勘違いをして心のほうが貧しくなりがちになるのが人の常だ。

 

 また苦労して得たものは自ずと大事にする心が生れるが、たいした苦労もせずに手にしたものは有り難みが薄いから粗末に扱う。この頃は嫌われることを恐れて叱ったり世話をやく人が少なくなった。薄情なことよ。特に辛抱することの大切さを。

 

 辛抱がなければ、何事もやり続けることは難しい。だから直ぐにあきらめたり、へこたれたり、自分の都合のいいように、もっともらしいへ理屈をつけて投げ出す。そうして自らの成長の機会を放棄する。辛抱は他の力を借りずとも頼らずとも要は自分の思いひとつで出来る。辛抱は心棒だ。持続的な弛まない練りと粘りが心の芯を強固にし、やり遂げる力を培っていく。

 

 過日、量販店へ行ったときのこと。売り場の通路で3・4才になろうか男の子がフロアーに体をこすりつけて激しく転げ回る。絶叫するわめき声が店内に響きわたる。その様子はだだをこねて人の気を引こうとしていることが一目で分る。欲しいものを買ってもらえなかったのか、怒り心頭、親への猛烈な抗議のパフォーマンス。これくらいの歳になると想像以上に賢くなってきて、衆人の前でだだをこねれば親のほうが根負けするだろうと計算づくだ。

 

 側を通るお客さんも承知の上で横目に見ながら通り過ぎる。しばらくするとそこへ気のよさそうな老人が見るに見かねて近寄る。暴れるこの手をとって抱き起こそうとする。「どうしたの、どこか痛いの、お母さんはどうしたの」としきりに宥める。向うの物かげに目をやると、身をひそめて我が子をそっと見守る母親の姿が。

 

 恥ずかしながら、そのままにして放っておいて欲しいと、辛そうにしている面持ちが見てとれる。我が子に辛抱させること、何でも思い通りにはいかないことをしつけしようと。周りに迷惑がかかることを承知しながらここが辛抱のしどころ、いま自分が根負けして折れたら、この子はだだをこねれば何でも言うことをきいてくれるものと。

 

 子供のうちにいま、ダメなものはダメと辛抱することを覚えさせておかないと大人になったとき大変なことになると、心配する母親の切なる思いが伝わってくる。この健気な母親に敬意を表し胸の内で頑張れとエールを送ったところだ。

 

 しつけも諸々の教育もされる人よりもする人のほうがうんと辛抱が要る。希望と勇気をもってこそ人は辛抱できる。辛抱が生き抜く力をつくる。

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思うままに No.273

   

※エッセー「思うままに」より 〜毎月更新〜

 

 いまの時代、テクノロジーをもっとも象徴するのはIT(情報技術)、AI(人工知能)の驚異的な進化だ。経済、社会、文化等のあらゆる分野にわたって重宝され大きな期待と可能性を広げ、新たなる文明文化を創造し続ける。そんな中でIT、AIが万能でSF映画などにあるようにさも人間を超えて人間を使うというような場面は滑けいで面白い。

 

 しかし、どこまでいってもAIは生みの親である人間にとってはあくまでも使い勝手のいい道具、技術に過ぎない。それが故に時の移り変りと共に改良革新されて古いものはお役御免となり、次から次へと新しいものにとって替えられる。

 

 人間がやりたくないもの、やりにくいもの、やらなくてもいいものを替ってやってもらう訳だから大いに助かる。その性能は合理的効率的で無駄なし、速くて正確だ。そこに便利で手軽で楽はあるものの情緒や美を求めるのは所詮無理なこと。いかに優れた道具も入魂は適わず血も心も通わない。どこまでいってもAIに愛は存在しない。

 

 デジタルの進展は未曾有の恩恵をもたらす一方、ニセ情報、サイバー犯罪など不安、懸念が絶えないのは顔が見えない、どこの誰だか分らない無気味さと無責任さが潜む。安直が仇となって頻繁に起きる青少年を巻き込んでの痛ましい事件は後をたたない。

 

 また自分の便利が他人には不便、迷惑になることもある。自制と何らかの規制が必要だ。文明のご利益は一長一短にしてその利便性、効率性と引き換えに、常にそれ相当の手痛い副作用と代償が伴う。そもそもデジタルを創るのはアナログだ。アナログの発想と感性により技術や仕組みを創る。でき上がったデジタルを運用チェック、革新するのはやはりアナログだ。アナログは精神性、知性であり、デジタルは物質性、知恵であって自ずとその役割は異なる。人間の本質はアナログだ。いかなる時代になろうとも、人間は人間、道具は道具だ。

 

 喜怒哀楽、情愛、配慮、忖度、志、希望、勇気、仁徳等々挙げたらきりがないがデジタルはアナログのマネはできない。薄気味の悪いアンドロイドとて便宜的、機械的に会話はできても心の会話はできない。感情の機微、情緒に至ってはとても用をなさない。

 

 また物と物をネットでつなぐIOTも広く普及していくことであろうが、その反面、事故、事件のリスクは容易に想像できる。人間の本質がアナログである限り、技術と技術、物と物がつながるインターネットに対して、人と人、心と心がつながるヒューマンネットが今まで以上に大事になってくる。

 

 未来社会に向けてヒューマンネットが無機質で乾いたインターネットに潤いと安らぎを生む。その意味で配置業の標榜するふれあいは、これからますますその存在感を増していくことになろう。

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思うままに No.272

   

※エッセー「思うままに」より 〜毎月更新〜

 

 一日の大半は仕事で過す。人生の大半は仕事が占める。仕事は物心両面における人生の最大の糧だ。仕事には常に成果を求められるが、その善し悪しはとどのつまり思いの丈で決まる。

 

 仕事というのは全人的なもので意思のもとに知識、見識、能力、経験等、の全ゆるものを総合して挑んでいくものだ。同時に当然のことながら他の理解と協力を得ることが不可欠だ。それには日頃より信頼、信用を得るべく姿勢が求められる。そもそも仕事とは物に仕えるのではなく事に仕えることだ。世人に関わる諸事が首尾よく運べるよう思いを抱いて奉仕するものだ。

 

 さてどんなに美味しいものでも長くは食べ続けられないが、仕事だけはいつまでも続けられ飽きることはない。ゴールをすればまた次のゴールを目指す。誰しも希むところだが、いい仕事をしたい、もっと人に喜ばれたい、信頼されたい、腕を上げたらどんなにいいのにと。これを可能にするのに、自分の思いひとつで出来ることがある。好きこそものの上手なれで、理屈抜きで仕事が好きになることだ。人を好きになるのと同じように。好きになれば自ずと楽しみが湧いてくる。

 

 その核心は自分のした仕事が他にどう関わり、つながり、どう役に立つかに思いを巡らすことだ。

 

 また仕事に得手、不得手もあろうが、案外に食わず嫌いからくるところが多いように思う。得手は多く不得手は少ないほうがいい。邪魔な不要な先入観を捨てとにかく白紙にしていっぺんやってみようという度量が大事だ。そうして思ってもみなかった不得手を得手に変えてしまうのだ。不得手の正体は大抵、独り善がりの思い込みによる。このつまらぬ思い込みを逆手にとって上手く活用すれば思いがけない自信に転化できる。要は考え方ひとつだ。性格を変えるのは難しいが考え方を変えるのは易しい。

 

 ところで「やらされる」ほど惨めなものはない。教育ママに背中をこつかれ泣く泣く勉強机に向わせられる子供のように。同様に「指示待ち」も「言われてからやる」も自分不在でこれまた情けない。「言われてからやる」のと「言われる前にやる」のとでは仮に結果が同じとしてもその価値には雲泥の差がある。

 

 仕事は人となりで仕事のさまは正しく人の生きざまそのものを映し出す。いかなるときでも陰日なたなく、人が見ていようがいまいが、一所懸命の姿に人は感動し尊敬をする。常々思う。何といっても誠実ほど人生を、仕事を全うしていく上では最高の知恵ではなかろうか。

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