思うままに No.270

   

※エッセー「思うままに」より 〜毎月更新〜

 

 <類は友を呼ぶ>で似た者同士が交わる。いい人のところにはいい人が寄り、わるい人のところにはわるい人が集まる。

 

 友ほど大切なものはない。つきあっている友を見れば大体その人のことが分る。友に恵まれると否とでは人生に違いがある。人生は山あり谷あり何か事が起きたときに頂く助言や支援に救われることが何と多いことか。だからよく見て友を選ぼう。またよき友のほうから望まれ選ばれる人になりたいものだ。よき友を得ようと思えばそれに値するよう先ず自分を磨き高めることだ。

 

 このことは、日々職場を共にする人たちを友に置き換えても同じことが言える。マイナス思考の人とつきあっていると知らず知らずのうちに染まる。消極的な人とつきあっていると消極人間になっていく。運のわるい人と一緒にいると伝染する。

 

 反対に頑張っている人とつきあうと頑張れるようになる。志の高い人、希望に燃える人とつきあうと何とはなしに、その気概に触発されて、自分も目的目標をもてるようになり頑張れる。善きにつけ悪しきにつけ人は交わる人によって感化され易いが、悪しきにはウイルスの感染を防ぐ免疫力が要る。免疫力をつくるには礼節を守り、流されないよう是は是、非は非を分別するよう努めることだ。

 

 そこでだ。周りの人から友として信頼に足る人かどうかの評価は、やはり人間性が現われる日頃の態度や言動によって決まる。案外、人は自分のことは棚に上げて人の振る舞いにはよく見ているものだ。たまにはその見る目を自分にも向けたらどうか。

 

 さてマイナス言葉、消極言葉、人のせいにする言葉は百害あって一利なし。それらの言葉を口にすれば真っ先に人よりも自分が損傷を受けることに気がつかなければならない。悪い言葉は罪なことに人をも自分をもダメにする。一方励ましや勇気や希望に満ちたいい言葉は全身の細胞に染みわたりいきいきと賦活する力がある。また人間には口は一つ、耳は二つになるよう神様がおつくり頂いた。言うのは半分にし、聞くのは二倍にしてコミュニケーションを図れという仰せだ。

 

 賢い人、優れた営業マン、できる上司等々は話す力よりも聞く力がいかに大事かその効用をとくと熟知している。説得力の別名は聞く力だ。聞く力とは相手のことをよく理解する力を言う。相手の言わんとすることに積極的な受身で耳を傾ける。その上で自分事として一緒になって、より良い方向、方法を導き出す協働の力だ。相手との距離が縮まり安心感と信頼感が生れる。

 

 ついでに、最悪のコミュニケーションは場の雰囲気をわきまえず、自己満足に浸りダラダラと続ける長話だ。聞いているほうはふりをするが上の空だ。肝心な話はできる限り要点を簡潔にまとめて話すことが望ましい。いたずらに時間をかけるほど、ますます主旨は伝わらないことを承知しておこう。

カテゴリー:エッセー「思うままに」
思うままに No.269

   

※エッセー「思うままに」より 〜毎月更新〜

 

 健康寿命が延びていよいよ人生100年の時代の到来だ。ますます高まる健康志向や予防医学、医療の進歩によるところが大きい。この頃の60歳は昔の40歳で元気ハツラツ、実に若々しい。齢を重ねていくたびに若い時以上に生きがいややりがいをもつことが人生をおくる上でいかに大切なことかと考えている。それ故にさらにコクのある人生にできる。生きがいもやりがいも人に言われてもつものでもないし、人に代ってやってもらうものでもない。

 

 自ら希望し自主的にもつものだが、どういう訳か、もてない理由に環境や条件が合わない、整わないからとへ理屈をこねたり、人から与えられるものだと勘違いも甚だしい輩もいる。それも年配者よりも若者に多いような気がする。心配なことだ。人生これから先が長いというのに、さして夢もなければ目標もなく、なんとなく無為な日々をやり過ごす。覇気がなく受身で依存心が強い。また感謝の気持も薄いようだ。生きがいの意味ぐらいは知っているのだろうが、それをもてないのは周りのせいだ、社会が悪いからだと他のせいにしたがる、もったいない人生をおくる。

 

 ついでのことだが、日々おぞましい事件が後を絶たないが、犯罪者は共通して職にも就かず、身勝手で依存心が心の内に巣くっているのではないかと思う。他のせいにすることは許されるものではない。何だろうがかんだろうが犯した張本人が悪なのだ。にもかかわらず非道な事件が起きたのは少なからず社会の責任などと心ないご託を並べ、またそれに迎合するような風潮が危うい。また罪を償うにおしなべて加害者に甘く被害者のことを思うと胸が痛む。

 

 さて人生には生きがいはまさに生きていく命の証だ。それがないと萎える。実りある人生にするためには、生きがいとは即ち目標、希望をもつことだ。そこに日々の充実感を得ると共に、何よりもその向こうに喜んでくれる人の顔を見ることができる。

 

 加えて生きがいは自分のことよりもむしろ他に対してのほうが熱意も大きくなる。自分のことだと、まあいいかと途中で投げ出したり、手を抜いたりしがちだが他のためにということになるといっそう思いの力も強まる。大抵の人は日頃より何か生きがいはないかと探し求めるが、その一方できることなら苦労をしたくない、平穏無事で過ごしたいと考える。

 

 そもそも生きがいはそれ相当の苦労をしてカベを乗り越えていくときに実感する。ところがだ、いざカベに突き当ると、いとも簡単に意趣返して逃げ出す輩に限ってどこかに手軽な生きがいはないものかとあてのない、ないもの探しをするところが滑稽で哀れに映る。

カテゴリー:エッセー「思うままに」
思うままに No.268

   

※エッセー「思うままに」より 〜毎月更新〜

 

 これまで人類は数々の発明発見をして進化、発達してきたが、文明文化の歴史上では最大の創造的なイノベーションは言語ではないだろうか。これほど多種多様な言語をつくり駆使できる能力は何億兆の生物の中で唯一人類だけがもつ。

 

 言葉は心を映し出す鏡だ。心の様相から発する精神作業だ。また<文は人なり>と言われるように、<言も人なり>だ。文は記録として残るが言も記憶として刻まれる。そして文責があるように言責もある。

 

 <丸いたまごも切りようで四角、ものも言いようで角がたつ>で、言葉は使い方ひとつでいかようにもなる。それを発する人と受け取る人との間には様々に微妙な感情と憶測が入り混じるが故に、いかに心を配ってうまく伝わるかどうかだ。それは能弁や訥弁といった技術的なレベルの問題ではなく全人に関わるものだ。とりわけ直言、諫言は必要なことであるが慎重にしなければならない。よく状況や経緯を観て相手の心情をおもんばかりながらどう伝えるか。

 

 後になってそんなつもりで言ったのではないと釈明しても、受けとりかたが間違えればとり返しのつかないことが起る。よかれと思い親身になって言ったことが仇になる。それは相互の信頼関係の度合いにもよるし、同じ言葉でも誰が言ったかによっても異なる。

 

 こんな話がある。

 

 「バラモンがお釈迦さまに汚くののしりましたが、お釈迦さまは顔色ひとつ変えず黙って聞いておられました。やがてバラモンに言いたい放題の悪口雑言を終らせてから、お釈迦さまはこうおっしゃいました。『あなたが他人に何かを差し上げようとしましょう。そのときその人が不要と考えそれをいただいてくれなかったとしたらその物は誰のものになりますか』と尋ねられました。するとバラモンは『それは当たり前のこと、これはもともと俺の物さ、そのまま持って帰るわい』と答えました。するとお釈迦さまは『いまあなたは私をののしりましたが、私はそれを受け取りませんので、そのままそっくりあなたに返します。ということは、あなたはあなたご自身をののしったことになりますね』と諭すように話されました。」

 

 他人に発した言葉はこだまのように自分に返ってくる。どうせ使うなら他人にも自分にもいい言葉を使おう。

カテゴリー:エッセー「思うままに」
アクセスカウンター
アクセスカウンター
プロフィール
カテゴリー
カレンダー
S M T W T F S
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
30      
<< September 2018 >>
最新記事
QRコード(モバイル)
qrcode
リンク
ARCHIVES