中京医薬品・会長のブログ

山田正行
※旧・社長のブログ
思うままに No.286

   

※エッセー「思うままに」より 〜毎月更新〜

 

 毎日毎日どこかで憎むべく事件が起きる。次から次へと後が絶えない。一日たりとも平穏無事な日はない。これ他人事ではなくいつ自分の身のまわりに起きても不思議はない。

 

 そんな中、以前から思っていることでどうにも腑に落ちないことがある。事件が起きるたびになんだかんだと言っては人や社会のせいにし、それに同調するかのような風潮が危ない。その言い様はさもそれを犯す止むを得ない事情があったから仕方がないのだと擁護するかのような偏った声が気になる。

 

 他人事だから言えるのであって、自分が被害者であったならばどうであろうか。加害者の生い立ちや背景、環境に何らかの原因があるのは承知するところだが、あくまでも主因は起した本人だ。犯した者の自己責任をどう始末をつけるのか。そもそも社会のせいにする本人もどうであれ社会の一員ではないのか。

 

 もっともらしい理屈をつけて犯罪者は気の毒な社会の犠牲者だと庇うかのようにとれる言動は悲嘆の涙にくれる被害者に対して配慮を欠くものだ。加えてその心情を深く傷つけるものだ。

 

 犯罪者は法の裁きを受けるが、自己反省せず相も変らず人や社会のせいにする性根が治らない限り、全うな人になるのは極めて難しい。出所すれば性懲りもなくまた再犯をくり返す者が少なくないと聞く。現実には自立更生の道は険しい。そのためには受刑者に対する教育方針や実施のプログラムとその検証是正を図ることが求められる。また出所後の支援も必要だ。

 

 さて昨今の凶悪なあおり運転、いじめ問題、痛ましい児童への虐待事件等々、起きるたびに政治の対応があまりにも鈍くて遅すぎる。いま法の整備や行政の連携と機動的な仕組づくりが急務だ。是正改正が遅れるほど被害者の数は増え続ける。

 

 また日本の法律は人権に関して加害者には甘く、被害者には辛い。おしなべて刑期も短い、量刑も軽い。いちがいに刑を重くすれば事件が減るとは思わないが、少しでも抑止力にはなるのではないか。考えられる、ありとあらゆる手を打つに越したことはない。

 

 古代エジプトのハンムラビ法典の<目には目を、歯には歯を>は犯罪者には被害者と同等の刑を科すという。自己責任の原則から言えば、実に単純明快で分り易く、理にも適っているように思えてくる。

 

 法の裁きは加害者の人権をうんぬんする前に、苦痛に喘ぐ被害者の人権と生命の尊厳をどう考えるのか。その度に被害者や家族の何ともやり切れない、無念の呻き声が聞えてくる。

カテゴリー:エッセー「思うままに」
思うままに No.285

   

※エッセー「思うままに」より 〜毎月更新〜

 

 前向きな人は異口同音に「もっと成長したい」「いい仕事をしたい」「いい人生にしたい」「もっと信頼を得たい」「存在感のある人になりたい」等々と口を揃える。これ誠に望ましく大いに結構なことだが、そのようになるには容易なことではない。それ相応の念いと精進が要る。本気になり、本腰を入れてかからないとただの願望に終る。これらを叶えるには何よりも先ず自己啓発を実践し弛まない努力の積み重ねが不可欠だ。

 

 自己成長なくして諸々の願望は成就しない。自己成長を図るには必須の要件がある。挑む道は平坦ではなく険しい道を選ぶことだ。特に若いうちは。これ生半可な者には到底できるものではない。敢えて楽ではなく苦を承知して、できる限り重荷を背負うようにするところに成長の土台となる精進の足腰が鍛えられる。また努力の甲斐なく、たとえ結果が不調に終ろうとも後々には必ずやボディーブローのように効いてくる。

 

 努力の成果は時を越え、形を変えて報われる。横着と諦めが大敵、あの時の頑張りがあったからこそ現在があると実感することになる。いかなる努力も決して無駄・無用にはならないのだ。

 

 目標を設定するときは具体的かつ高いほどいい。その分だけカベは高くなるが、このカベこそ前向きな人たちが望む、またとない成長の肥しとなる。平易よりも困難が人を育てる。困難と思うとストレスになるが鍛錬と思えば救いになる。

 

 さて企業の使命は社会から必要とされ、信頼され、期待されることにある。同様に企業内の個にも求められる。また業績は社会への貢献活動による評価の結果を表わす。世のため、人のため、そしてひいては自分のために役立つべく実践が企業の存在と存続に直結する。これを創っていくのは総て前向きな人たちだ。個の成長が組織の活力を生み業績に連動する。

 

 そもそも企業と顧客は対等だ。どちらが上でも下でもない。作ってよかった、売ってよかった、買ってよかったと互いに喜びを分つ関係だ。企業は理念と活動に使命感と誇りをもち、一方顧客は吟味、要望することによってより高い満足を求める。

 

 企業にとっては顧客の声に耳を傾け、よりサービスや商品の品質向上を図っていく上では顧客とは互恵関係にあり大切なパートナーだ。このことは、企業は矜持、自負を引き換えに供給者としての良心と責任をもつことを意味する。広く社会からの信頼をもとに企業価値と生活価値の向上を目指していくことが、そして同時に人財となるべく個々の成長が自ずと社会貢献につながる。

カテゴリー:エッセー「思うままに」
思うままに No.284

   

※エッセー「思うままに」より 〜毎月更新〜

 

 「やらされる」と「やる」とでは天と地ほどの差がある。人間力の優劣を分ける。また人生の善し悪しを大きく左右する。やらされるというのは第一に精神衛生上よくない。いやいやしぶしぶだから細胞も萎えて健康上にも悪い。何事につけても一事が万事受身で指示待ち。自らすすんでやることがない。依存心が強く言わば怠け者特有の性情ということか。

 

 誰一人として豊かな人生を望まない人はいないのに、こういう人は分ってか分らずか徒らに人生をしぼませている。自分のみならず周りをも貧しくする。もったいないことだ。

 

 一方やる人というのは元気はつらつさわやかで気持がいい。つねに目的目標が明確だ。立てた計画にそって能動的に実行に移す。成果を出すには他の人たちと協力し合うことの大切さをとくと承知しているから、周りへの配慮にはことのほか意を注ぐ。だから人望も信頼も厚い。

 

 さてやる気を起すには何よりも本気にならなければならない。それには事訳をよく得心することでその気になれる。また自分はああなりたいと切に願望をもつことから生れる。

 

 一方「まだ他がある」「そのうち誰かがやってくれるだろう」というような、場当り的や気休め、あなたまかせになると人はとても本気にはなれないものだ。本気になるキーワードは、道理、実利、危機の三つだ。「なるほどそういうことか」「これは役に立つ、為になる」「このままでは危ない」というように。

 

 こんな話がある。

 

 昔昔、ある村で日照りが長く続いて田畑の作物がいよいよ心配になってきた。このままでは全滅だ。何とかしなければと村人たちは皆で相談し鎮守の杜で雨乞いの儀式を行うことに決める。村中の老若男女全員集合で天に向ってお祈りをするのだ。ところが雨乞いをするというのに誰一人、雨合羽を持参していない。本音はどうせ雨など降るものかとはなから諦めているのだ。ただ不参加になると村八分が恐いからしかたなく集っているのだ。そんな時、杜の片隅で今か今かと雨が降るのを信じたただ一人、合羽を被って真顔で空を仰ぎながら、じっと待つ子供がいる。この子は本気になってやってきたのだ。大人たちの格好を見て「どうして皆は合羽をもってきていないのかなぁ」とぼそっと独り呟く。冷めた目で見ながら。

 

 ところでお馴染みのTVCMソングに、<この木なんの木気になる木、見たこともない木ですから、見たこともない・・・>がある。木は木でももっと多くを見たいのが本気の気だ。この気は勇気と根気をつくる。この立派な大木のように、本気こそが人生を伸び伸びと繁らせ、豊かにしてくれる。

カテゴリー:エッセー「思うままに」
思うままに No.283

   

※エッセー「思うままに」より 〜毎月更新〜

 

 自信というものは微妙なもので、ちょっとしたことで持てたかと思うと、またちょっとしたことで失くす。これをくり返しながら徐々に自信は固まり強くなっていく。自信をもつことは成功の扉を開く秘訣を得たのも同然だ。人はいったんこれをもち始めると思いもよらない力を発揮する。ひとつの自信がまたひとつの自信を生み、連鎖、蓄積されていく。

 

 そうしてより高みに向って挑戦心が湧いてきて、面白いように人は実力をつけ、さらに伸びていく。こういう人たちはどこの世界も同じで自己に忠実でなすべきことを愚直にやり続ける人たちだ。自信が高じて信念となり諦めや言い訳がいかに無益で大敵になることをよく分っている人たちだ。

 

 ただ自信は凄い力をもつが、その反面、過信、慢心の落し穴には常に留意をしておかなければならない。その主因は周りへの配慮や感謝の念が欠如するときに起こる。

 

 さて自信とは読んで字の如く、自分を信じると書く。先ず誰よりも先に自分を信じることから自信は生れる。自分を信じるとはどういうことか。それは自分がいま懸命にする努力が、先々必ず成果につながるものと信じて疑わないことを言う。

 

 世の中のことすべて信頼で成り立つ。これを築くには誠実と時間を要する。そこでだ。人様から信頼を得たいと思う前に、せめて自分が自分にした約束を果して、内なる自分の信頼を得るよう努めることだ。それがひいては周りからの信頼を厚くする。自分が自分を信じないで、誰が自分を信じてくれるというのか。やるべきことはすべてやった。もうこれ以上やれることはないと、この一生懸命が自信を生み人の心を打つ。

 

 自信をつくるべく努力を促し駆り立てるものが志や勇気、希望だ。これらの言葉は因果で繋がり自信へと一直線に連なる。自信の連鎖は自ずと確信へと変わっていく。

 

 ところで何をやってもうまくいかない気の毒な人がいる。この人たちに共通するのは、やる前から自分には到底できないものと決めつけ諦める人たちだ。肝心の努力や準備を疎かにする。これって虫がよすぎはしないか。自分に甘いからといって人や世の中を甘くみてはいけない。

 

 かなりレベルが高いが<駿足長阪を思う>という言葉がある。良い馬は長い坂道があればよいと思う。平易よりも困難を望む。その方が必ず自分の為になると考え、臆せず、それに向って懸命の努力が確たる自信につながることを確信しているからだ。

カテゴリー:エッセー「思うままに」
思うままに No.282

   

※エッセー「思うままに」より 〜毎月更新〜

 

 人を育てるというのは簡単なことではないが、その立場にある人には、大事な使命のひとつだ。それを果すためになすべきことは向上心をもって先ず自らが自らを育てんとする意志と勉励が求められる。

 

 人を育てる基本は言うまでもなく相互の信頼が要る。その上で褒める叱るの二つの言葉が有効に働く。褒める叱るは反対語ではない。二つの言葉にはそのもつ意味が相互に含まれている。褒めの中に叱りがあり、叱りのなかに褒めがある。二つの言葉は同意語のようなものだ。いま、自分の来し方を振り返るに褒められたことよりも叱られたことのほうがはるかによく覚えている。

 

 褒められることは気分のよいことに違いはないが、場合によってはかえって気色の悪いこともある。褒め殺しや、見え見えのお世辞など。タイミングとポイントがずれると逆効果になる。きつい叱りほど骨身にしみる。その時は浅はかにもこんちくしょうと敵愾心さえもつこともあったがいま思えば愚かで恥ずかしい限りだ。このこんちくしょうを人に向けているようではダメで、自分に向けなければならない。あの時あの人の叱責があったからこそ、今の自分があると改めて有り難く思うところだ。

 

 褒めるは甘言、叱るは苦言。甘言には首を傾け、苦言には耳を傾けることだ。叱ってくれる人こそ大切な人だ。誰が好き好んで叱ってくれるか。少しは叱ってくれる人の気持をくめるぐらいの率直さをもてるといい。褒めに褒められて育った人はどことなく温室育ち風でちょっとしたことで萎える。一方風雪のごとく厳しさの中で叱られながら育てられた人は強く逞しい。だからこそ人の辛さや痛みが自分のことのように分る。そのもつ優しさは本物だ。優しさと甘さは全く違う。

 

 イソップ物語に太陽と北風のどちらが旅人の着るマントを脱がせることができるかを競い合い、太陽の勝ちとなる。ところが時と場合によっては北風が勝つこともある。要は太陽と北風、優しさと厳しさの両方を混ぜ合わせながら上手く使い分けることが効果的だ。

 

 <人を見て法を説け>で人は十人十色、十通りの説き方がある。人前で叱って効果がある人、陰で叱ったほうがいい人、ストレートに言ったほうがいい人、柔らかく包みこむように諭したほうがいい人等々。思いを込め、タイミングを見計らい、適切な言葉を選ぶ。そうして共に泣き、共に笑える共感の関係ができたらベストだ。叱られ下手はだんだんと相手にされなくなり、しまいには無視される。叱られ上手は率直で前向きにとらえるから、多くの人から気にかけてもらえる。そうして頂く有り難い助言、苦言をものにして、ますます立派に育って行く。

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