思うままに No.262

   

※エッセー「思うままに」より 〜毎月更新〜

 

 潤いのある人生にしていくには様々な人との良好な人間関係づくりが大事だ。日々あまたの人といかに上手くつき合いをしていくかはとりもなおさず虚心にして自分が自分にどう向き合っていくかだ。

 

 人は十人十色いろいろな人がいる。一方自分の内にもいろいろな自分がいる。それらのいろいろといかに調和させていくかだ。人は所詮自分とは異なるものだ。それぞれの性格、考え方、立場、生い立ちもいろいろだ。先ずお互いにその個性、多様性があることを理解し認め合うことが賢明だ。その上で間柄の深浅により矩をこえないよう間合いを計って合わせていくことだ。出すぎず控えすぎず、つかず離れず。

 

 人は自分を映し出す鏡だ。怒れば怒るし、笑えば笑う。傷つけたりおとしめたり、嫌がらせすれば必ず自分に返ってくる。人に好意をもったり親切にしたり支えたりすれば望もうと望まないとに拘らずまたいつかは自分に返ってくる。自ずと人のあり様は自分のあり様に倣う。

 

 人に好かれたい、愛されたいと思うなら、先に自分のほうから能動的に動くことだ。人に信頼を得たいと思うなら、その前に自分はそれに足り得る言動をしているかどうか顧みることだ。実のところこれらは人の為にしているのではなく、とどのつまりは自分の為にしていることを知るべし。

 

 悪口、陰口、告げ口は努めて慎んだほうがいい。もしするなら当人が側に居合わすつもりで話したらいい。これらはいずれにしても言うほうも聞くほうも気分のいいものではないし、口に戸はたてられない。直ぐさま周りに伝播していく。そんなつもりで言った訳ではないといっても覆水盆に返らずで取り返しがつかず、尾びれまでついて増幅する。敵をつくっても決して自分の味方にはなってくれない。

 

 また人様から受けた恩はきちっと返さなければならない。そのときおまけという付加価値をつけて報いることができれば幸せなことだ。報恩を怠ると、有り難い感謝の念を干からびさせて人生そのものを萎えさせてしまう。

 

 一方で恩きせがましい振舞いはさもしいことだ。せっかくの善意が悪意にとられかねない。そうなるとどちらにも何のプラスにもならないし、後味の悪さだけが残り虚しいものだ。要は人はみな自分が一番かわいいのだ。自分がかわいかったらなおさらのこと人にもそうすることだ。誰しも自分がして欲しくないことは人もそうして欲しくないと思っているのだ。

 

 接客サービスのもとはここにある。また同じサービスをするにしても、言われてからするのとその前にするのとではその価値に雲泥の差がある。よき人間関係は適宜距離をはかり、心配りして相手を自分に置き換えてみることから始まる。

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思うままに No.261

   

※エッセー「思うままに」より 〜毎月更新〜

 

 霊長類最強女子吉田沙保里さんを支えるお三方のお話を聴く機会を得た。お三方とは母親の幸代さん、寮母の前田寿美枝さん、至学館の加藤道子さん。つくづく思った。この方たちこそ世界最強のサポーターだと。

 

 沙保里さんの強さの秘密は本人の並外れた精進は言うまでもないことだが陰で支えるこのお三方、そしていまは亡き父親の栄勝さん、栄監督と奥様の怜那さんの執念と強力な支えがあったからこそと痛感する。

 

 ところで意外にも、沙保里さんの小さい頃の夢はスーパーで格好よく手早くレジ打ちをする仕事だったそうだ。全日本のレスリングの代表選手であった父栄勝さんの指導の下、練習する二人の兄たちの見よう見まねからレスリングへの歩みが始まる。父と言うより指導者として栄勝さんは男も女も分けへだてなく、容赦もせず沙保里さんに日々過酷な練習を課した。

 

 教育方針は「強い子は誰が教えても強くなる。指導者は弱い子を教えられてこそなんぼのものだ」、「なるようにしかならないものを何とかしよう」、「相手を恐れて攻めないことよりも攻めずして負けることは許さない」、「試合で勝っても、メダルを獲っても決して天狗になるな。もし自分がメダルを獲れなくて、相手にそんなふうに見せびらかされたらどう思うか」、「金メダルはスーパーでは売っていない。頑張った人しかもらえないんだ」とレスリングの道と技を骨の髄まで徹底的に叩き込まれた。

 

 持ち前の素直さと明るい性格に加え、鬼のような父とその陰で献身的に支える母、厳しさと優しさとに揉まれ錬磨されながら強い精神力が養われていく。

 

 また心が折れそうになったとき、負けたときの母の一言ひと言が沙保里さんには大きな励みとなる。「負けることから学び、負けることで強くなる。負けは試練ではなく神さまからのプレゼントなのよ」、「負けを知っていればこそ勝ちの喜びも大きくなるのよ」、「負けたときも勝ったときもその先が大事なのよ」と。その時々の母の叱咤激励が彼女にとってどんなに心強い救いと支えになったことだろうか。

 

 失礼を顧みず言うならば、お三方はどこにでもいる一見ごく普通の方に見えるが実のところは、各人が自分の果す役割を愚直なまでにやり続けるところが普通ならぬ非凡さを感じざるを得ない。

 

 試合中の応援スタンドの席で幸代さんはどんな声援を送っているのか、「集中力」「気を抜くな」の言葉だそうだ。何事もそうであるが、やる人、それを支える人の深い思いと強い連携があってこそ事は成し得る。

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思うままに No.260

   

※エッセー「思うままに」より 〜毎月更新〜

 

 何とも妙な気分だ。ため息まじりの安堵にほっと胸をなでおろす。期待するほどに心配のほうも募った。負けてよかったのだと。これでいいのだと。そう言うと藤井ファンには叱られるかもしれないが、かく言う小生も大ファンの一人だと自負している。

 

 前人未踏の新記録29連勝の大金字塔をうちたてた。これで十分過ぎる歴史的な快挙ではないか。これ以上何を望めというのか。記録は破られるためにある。そして記録は次なるヒーローの出現を待ち望む。彼はまだあどけない中学生に過ぎないが、このことは甲子園球児の投手がいきなりプロ野球に初登板をして勝ち続けたぐらいの偉業だと言われる。

 

 勝負の世界に勝ち負けはつきものだが<負けて覚える将棋かな>で負けをものにしてこそ強くなる。<勝つに不思議はあるが負けに不思議はなし>で敗因をよく研究していくことによって次に活かせることができる。その意味でこの痛恨の一敗は苦い良薬となり先の千勝に匹敵するもので何ら口惜しさもなくすんなり腹に落ちる。これからの長い長い将棋人生を考えるとこの一敗には大きな意味と価値が生れる。

 

 彼の盤に向うひたむきな姿勢を見るにつけ、これを絶好の機会にして飛躍のための踏み台にし、さらに不断の精進を重ねて逞しく強くなっていくに違いない。礼儀正しさ振る舞いや口ぶりと言い、申し分なく誰しも感服するところだ。先程引退されたレジェンド加藤一二三さんいわく、藤井さんは「秀才の天才」棋界の珠玉だと。棋界内にとどまらず国民が大きな拍手と声援を惜しまないところだ。

 

 将棋も武道と同様に道というものがある。人との対局から道を学びAIとの対局から技を磨き、心技体を兼ね備えた棋士として限りなく伸びていって欲しい。彼ならそれをやり遂げていく人だと期待し確信している。案の定現時点では一敗をはさんで連勝中だ。

この度のこと本来は逆だと思うが世の大人たちのほうこそ、このいち少年から多くを学び夢と希望と励ましをもらったことであろう。

 

 一方藤井四段の連勝にストップをかけた佐々木五段の勝負にかける気力、知力、胆力は目を見張るもので天晴れの一言に尽きる。彼もまた藤井四段と共に将来の棋界を背負っていく逸材であることに違いない。この二人の対局は後々まで語り継がれることであろう。力限りの真剣勝負のぶつかり合い、熾烈を極める生身の人と人との闘う様は何と厳しくも美しいことか。

 

 これを機にあまたの秀でた若手の棋士たちがしのぎをけずり合い棋界を引っぱっていくことであろう。お互いに切磋琢磨して道を極め人間力をより高めていくことに限りない期待を寄せるところだ。

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思うままに No.258

   

※エッセー「思うままに」より 〜毎月更新〜

 

 ある会合で御年90になられる方と運よく席を共にした。とても若々しくかくしゃくとして話しぶりといい仕草といいその年には見えない。その秘けつを尋ねてみたら「くよくよしない。元気にする。感謝の心をもつ」である。想定通り長寿の方々がよく口にする言葉が返ってきた。

 

 さらに続けて「不幸は財産になる」と、一瞬聞き違いかなとわが耳を疑ったがその意味を問い返した。

 

 「強がりで言うのではない。年寄りのたわ言と聞いてもらってもかまわない。不幸は誰にでも訪れるものだ。望まなくてもくる。できることなら避けたいところだ。辛いことだが嘆いても詮ないこと。そういうときにはいさぎよくさらっとそのまま受けとめることだ。長い人生にはどうあがいてもどうにもならないことがある。だからさらっとだ。

 

 他を恨んだり責めたりするのは愚の骨頂だ。そういうことを思っているからますます気分は泥沼の深場にはまるのだ。何が起きても最後にはなるようになるから大丈夫だ。それはそれで踏ん切りをつけて、その辛い経験を何かのときに活かすことに思いを巡らせよ。その教訓を生きる知恵にして後のために貯金をしておけ。この貯金が長い人生を生き抜くかけがえのない財産になる。」と。表情はおだやかだがきりっと眼光がひかる。

 

 幸も不幸も同根だ。いずれも心の内ではときに対立し、ときに融和し同居している。幸、不幸は表裏一体、定まらず幸が不幸に、不幸が幸に変転する。ただし知恵を活かし心の処し方次第で物事は好転する。日常体が不具合になったり大切な人や物、時や所を失くしたりで様々なことが起こる。それでも思いがけない不幸が心のもちようひとつで打って変わって人を輝かせることはよくあることだ。

 

 幸せは数量で計れるものではない。ましてや他人と競うことでもなく比べるものでもない。遠い所ではなく身近のちょっとした所に潜んでいる。幸せは仕合せとも表わす。お互いに心を合わせ自分のでき得ることを精一杯仕え合うことを意味する。仕合せは自分と相手、両者の心を尽す共同作業だ。そのもとは感謝の心だ。また感謝する心をもてばおのずと相手からも感謝されたい思いが芽生え行動へと駆り立てられる。

 

 ある結婚式での新婦のスピーチは今もなお耳に残る。「これから先、どんな不幸に見舞われても、二人で力を合わせていく覚悟です」と。普通のスピーチは「これから二人で幸せな家庭を築いていきます」であるが。

 

 寒さに震える人ほど太陽の暖かさを感じるものだ。人生の不幸をいくつもかいくぐってきた人ほどほんとうの優しさや強さ、そして感謝の念が深まっていく。

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思うままに No.257

   

※エッセー「思うままに」より 〜毎月更新〜

 

 <情けは人の為ならず>はしばしば誤って使われる。人に情けをかけることは自分にも相手にも為にならないと。

 

 正しくは情けを人にかけるのはその人の為になるわけではなく自分がいつ人から情けを受ける立場になるとも限らない。人に情けをかけておけばいつかは巡り巡って自分によい報いが返ってくる。望もうと望まないとに拘らず結局は自分にも返ってくるものだから人にはつとめて親切にせよという意味だ。

 

 さて、日々使う言葉に「ありがとう」と「おかげさま」がある。その発する言葉がリレーのバトンのように人から人へとつなぎ、その連鎖によって互いに支え、支えられ、助け助けられている。

 

 そう考えると前述の情けと同様に、感謝・報恩についても人の為にならずと言える。人から親切にしていただいたことに謝意を表わすことは人として当然のことであるが、そのことはひいては自分の為にしていることなのだ。

 

 感謝するときに大事なことはその後の思いと行いだ。これが人の値打ちを決める。つねに思う。どうしたら少しでもお返しができるかを。お返しは単に物やその多い少ないではない。要は自分なりにできる事を心をこめて行うことだ。

 

 感謝と報恩はワンセットで連動しサイクルする。これが世の習いだ。加えて事には忘れてはならぬことと、忘れなければならないことがある。

 

 自分が人の為にしたことは心にとどめておく必要はない。それはむいて捨てるバナナの皮みたいなものでそのうち腐る。

 

 相手によかれと思って行ったことが後にどこかで恩きせがましくなり不遜を招く。せっかくの善意が悪意ともとられかねない。一方恩を受けたことは忘れないように胸に刻んでおかなければならない。これも相手の為にではなく自分の為にだ。

感謝のできる人は幸せだ。それにとどまらずお返しのできる人はもっと幸せだ。感謝の心は人格を磨いてくれる。報恩の心は信頼を厚くしてくれる。

 

 見事に咲く花を見て思う。花は地中で根っ子が苦闘してしっかりと支えているからこそ咲きそして種子をつくり次へとつないでいく。ここにも感謝と報恩のサイクルが連綿としてくり返される。あらゆるものが、見えないところ、気がつかないところでおかげさまによる大きな力が働いている。

 

 あって当り前、してもらって当り前はそうそう長くは続かない。いずれはそれがなくなると決って理不尽な不平不満を抱く。こういった性根の悪さは自分をも人をも腐らせる。こういう輩は土中に顔をつっこませてみるといい。人の親切や好意、それに伴う苦労が少しは分るであろう。

 

 だから当り前のことが、実は当り前でないと思うことだ。無いと思っていたことが有ったときほんとうの有り難さが身にしみる。

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