思うままに No.275

   

※エッセー「思うままに」より 〜毎月更新〜

 

 会話は精神と頭脳が織りなす知性と感性の相互作業で、人間の特性をもっともよく表わす活動のひとつだ。もし会話を厳禁にしたら人は幾日耐えられるだろうか。たいへんな難行苦行になることであろう。会話は相互理解を深めるには優れて有用だ。文章も同様であるが、様々な言語を自由自在に駆使して、双方向でコミュニケーションを図れるのは生き物のなかでは唯一人間だけだ。

 

 多種多様の豊富な言葉はたいそう便利だが、使い方次第によっては諸刃の剣になる。ひとつの言葉で励まされ、救われる一方で、言葉によっては受ける傷は刃よりもひどく痛く感じることがある。言葉は人なりで自ずと人柄がでる。手軽に無料で使えるが話によっては人、時、場をよく弁えて使わないと本意ではないことが誤って伝わってしまう。

 

 肝心な話しは要領を得て要点を整理し、短いほうが伝わり易い。加えるに相手の真意をくみとるべく聞く力を磨いて行けば、察する力も養われ、コミュニケーション能力を高めることができる。

 

 さて日常よく使われる言葉に「話せば分る」がある。よく話せば折り合いがつくのにと、事あるごとに外野のほうから批判の声があがる。「話せば分る」を万能のようにして言うが、なかなかそうはいかないものだ。いくら時間をかけて話し合いの場をもってしても何とも埒があかない。そこが当事者の悩ましくもやるせないところだ。

 

 折り合いをつけるには腹を割って話し合えるかどうかだ。相手の胸襟を開くには手前みそや腹蔵があっては通じない。すぐ見抜かれる。人は話の内容そのもの以上に信頼できる人か否かその魂胆を見極めようとする。不都合が起きたときほど、日頃の信頼関係がものを言う。その証しは普段の姿勢や言動にある。その上で一にも二にも誠意をもって臨むことが賢明だ。誠実に勝る知恵はなしだ。

 

 一方で以心伝心のように言わずとも聞かずともお互いにツーカーで通じる究極のコミュニケーションがある。「言わなくても分る」はとりもなおさず「聞かなくても分る」でまさに阿吽の呼吸だ。そもそも信頼は楽境のときより苦境のときのほうが強固につくられる。辛苦を共にするときが深いきずなをつくれる。戦いにあって、生死を共にする戦友はその最たるものだ。

 

 また同じ言葉を使っても言う人によって受けとられ方は違う。聞く人は誰が言ったのか、言う人をみて判断することもある。言葉は生れも育ちも違う。自分とは同じではない人と人、心と心をつなげる無双のコミュニケーションの道具だ。あくまでも信頼をもとに使い方次第で生きも死にもする。

カテゴリー:エッセー「思うままに」
思うままに No.274

   

※エッセー「思うままに」より 〜毎月更新〜

 

 今の人は昔の人と比べると辛抱が足りない。物が豊富ないま贅沢さえしなければさほどの辛抱しなくともどうにか生きていける。豊かになることはいいに決っているが物に恵まれ過ぎるとかえって欲の皮がますますつっぱる。そうして普通では当り前でないことが当り前と勘違いをして心のほうが貧しくなりがちになるのが人の常だ。

 

 また苦労して得たものは自ずと大事にする心が生れるが、たいした苦労もせずに手にしたものは有り難みが薄いから粗末に扱う。この頃は嫌われることを恐れて叱ったり世話をやく人が少なくなった。薄情なことよ。特に辛抱することの大切さを。

 

 辛抱がなければ、何事もやり続けることは難しい。だから直ぐにあきらめたり、へこたれたり、自分の都合のいいように、もっともらしいへ理屈をつけて投げ出す。そうして自らの成長の機会を放棄する。辛抱は他の力を借りずとも頼らずとも要は自分の思いひとつで出来る。辛抱は心棒だ。持続的な弛まない練りと粘りが心の芯を強固にし、やり遂げる力を培っていく。

 

 過日、量販店へ行ったときのこと。売り場の通路で3・4才になろうか男の子がフロアーに体をこすりつけて激しく転げ回る。絶叫するわめき声が店内に響きわたる。その様子はだだをこねて人の気を引こうとしていることが一目で分る。欲しいものを買ってもらえなかったのか、怒り心頭、親への猛烈な抗議のパフォーマンス。これくらいの歳になると想像以上に賢くなってきて、衆人の前でだだをこねれば親のほうが根負けするだろうと計算づくだ。

 

 側を通るお客さんも承知の上で横目に見ながら通り過ぎる。しばらくするとそこへ気のよさそうな老人が見るに見かねて近寄る。暴れるこの手をとって抱き起こそうとする。「どうしたの、どこか痛いの、お母さんはどうしたの」としきりに宥める。向うの物かげに目をやると、身をひそめて我が子をそっと見守る母親の姿が。

 

 恥ずかしながら、そのままにして放っておいて欲しいと、辛そうにしている面持ちが見てとれる。我が子に辛抱させること、何でも思い通りにはいかないことをしつけしようと。周りに迷惑がかかることを承知しながらここが辛抱のしどころ、いま自分が根負けして折れたら、この子はだだをこねれば何でも言うことをきいてくれるものと。

 

 子供のうちにいま、ダメなものはダメと辛抱することを覚えさせておかないと大人になったとき大変なことになると、心配する母親の切なる思いが伝わってくる。この健気な母親に敬意を表し胸の内で頑張れとエールを送ったところだ。

 

 しつけも諸々の教育もされる人よりもする人のほうがうんと辛抱が要る。希望と勇気をもってこそ人は辛抱できる。辛抱が生き抜く力をつくる。

カテゴリー:エッセー「思うままに」
思うままに No.273

   

※エッセー「思うままに」より 〜毎月更新〜

 

 いまの時代、テクノロジーをもっとも象徴するのはIT(情報技術)、AI(人工知能)の驚異的な進化だ。経済、社会、文化等のあらゆる分野にわたって重宝され大きな期待と可能性を広げ、新たなる文明文化を創造し続ける。そんな中でIT、AIが万能でSF映画などにあるようにさも人間を超えて人間を使うというような場面は滑けいで面白い。

 

 しかし、どこまでいってもAIは生みの親である人間にとってはあくまでも使い勝手のいい道具、技術に過ぎない。それが故に時の移り変りと共に改良革新されて古いものはお役御免となり、次から次へと新しいものにとって替えられる。

 

 人間がやりたくないもの、やりにくいもの、やらなくてもいいものを替ってやってもらう訳だから大いに助かる。その性能は合理的効率的で無駄なし、速くて正確だ。そこに便利で手軽で楽はあるものの情緒や美を求めるのは所詮無理なこと。いかに優れた道具も入魂は適わず血も心も通わない。どこまでいってもAIに愛は存在しない。

 

 デジタルの進展は未曾有の恩恵をもたらす一方、ニセ情報、サイバー犯罪など不安、懸念が絶えないのは顔が見えない、どこの誰だか分らない無気味さと無責任さが潜む。安直が仇となって頻繁に起きる青少年を巻き込んでの痛ましい事件は後をたたない。

 

 また自分の便利が他人には不便、迷惑になることもある。自制と何らかの規制が必要だ。文明のご利益は一長一短にしてその利便性、効率性と引き換えに、常にそれ相当の手痛い副作用と代償が伴う。そもそもデジタルを創るのはアナログだ。アナログの発想と感性により技術や仕組みを創る。でき上がったデジタルを運用チェック、革新するのはやはりアナログだ。アナログは精神性、知性であり、デジタルは物質性、知恵であって自ずとその役割は異なる。人間の本質はアナログだ。いかなる時代になろうとも、人間は人間、道具は道具だ。

 

 喜怒哀楽、情愛、配慮、忖度、志、希望、勇気、仁徳等々挙げたらきりがないがデジタルはアナログのマネはできない。薄気味の悪いアンドロイドとて便宜的、機械的に会話はできても心の会話はできない。感情の機微、情緒に至ってはとても用をなさない。

 

 また物と物をネットでつなぐIOTも広く普及していくことであろうが、その反面、事故、事件のリスクは容易に想像できる。人間の本質がアナログである限り、技術と技術、物と物がつながるインターネットに対して、人と人、心と心がつながるヒューマンネットが今まで以上に大事になってくる。

 

 未来社会に向けてヒューマンネットが無機質で乾いたインターネットに潤いと安らぎを生む。その意味で配置業の標榜するふれあいは、これからますますその存在感を増していくことになろう。

カテゴリー:エッセー「思うままに」
思うままに No.272

   

※エッセー「思うままに」より 〜毎月更新〜

 

 一日の大半は仕事で過す。人生の大半は仕事が占める。仕事は物心両面における人生の最大の糧だ。仕事には常に成果を求められるが、その善し悪しはとどのつまり思いの丈で決まる。

 

 仕事というのは全人的なもので意思のもとに知識、見識、能力、経験等、の全ゆるものを総合して挑んでいくものだ。同時に当然のことながら他の理解と協力を得ることが不可欠だ。それには日頃より信頼、信用を得るべく姿勢が求められる。そもそも仕事とは物に仕えるのではなく事に仕えることだ。世人に関わる諸事が首尾よく運べるよう思いを抱いて奉仕するものだ。

 

 さてどんなに美味しいものでも長くは食べ続けられないが、仕事だけはいつまでも続けられ飽きることはない。ゴールをすればまた次のゴールを目指す。誰しも希むところだが、いい仕事をしたい、もっと人に喜ばれたい、信頼されたい、腕を上げたらどんなにいいのにと。これを可能にするのに、自分の思いひとつで出来ることがある。好きこそものの上手なれで、理屈抜きで仕事が好きになることだ。人を好きになるのと同じように。好きになれば自ずと楽しみが湧いてくる。

 

 その核心は自分のした仕事が他にどう関わり、つながり、どう役に立つかに思いを巡らすことだ。

 

 また仕事に得手、不得手もあろうが、案外に食わず嫌いからくるところが多いように思う。得手は多く不得手は少ないほうがいい。邪魔な不要な先入観を捨てとにかく白紙にしていっぺんやってみようという度量が大事だ。そうして思ってもみなかった不得手を得手に変えてしまうのだ。不得手の正体は大抵、独り善がりの思い込みによる。このつまらぬ思い込みを逆手にとって上手く活用すれば思いがけない自信に転化できる。要は考え方ひとつだ。性格を変えるのは難しいが考え方を変えるのは易しい。

 

 ところで「やらされる」ほど惨めなものはない。教育ママに背中をこつかれ泣く泣く勉強机に向わせられる子供のように。同様に「指示待ち」も「言われてからやる」も自分不在でこれまた情けない。「言われてからやる」のと「言われる前にやる」のとでは仮に結果が同じとしてもその価値には雲泥の差がある。

 

 仕事は人となりで仕事のさまは正しく人の生きざまそのものを映し出す。いかなるときでも陰日なたなく、人が見ていようがいまいが、一所懸命の姿に人は感動し尊敬をする。常々思う。何といっても誠実ほど人生を、仕事を全うしていく上では最高の知恵ではなかろうか。

カテゴリー:エッセー「思うままに」
思うままに No.271

   

※エッセー「思うままに」より 〜毎月更新〜

 

 何事も長くやり続けるというのはそれ相当の意志と根気の力が要る。ところが面白いことに、しばらくやり続けているうちに、何とはなしにやらなくては気がすまなくなってくる。洗顔や歯磨きのようにルーチンワークとなったらもうしめたものだ。そしてさらにやり続けていくとやらねばならぬというような義務感や面倒臭さがなくなり習慣となってごく自然体でやれるようになる。継続は力なりでこのことができたら大抵のことは実現するのだが、その理屈は承知していてもついつい止めてしまうのが人間の弱さだ。

 

 そこで誰でも継続を可能にする魔法の言葉があると聞いた。

 

 それは「今日だけは」の言葉だ。通常、人は何かをするとき、先々のことを考えて計画を立て、ことを始めるものだが、これを止めて「今日だけは」の一日に限定してしまうのだ。明日以降のことを考えないようにして、とにかく今日だけは我慢してやってみようと。明日は明日の風邪が吹くで今日だけに限ることによって余計なことを考えるうっとうしさから解放されて気が楽になるということか。

 

 これを日々新たにくり返すことによって継続する力が身につく。またいつの日にか機会があればとか来週来月というような言葉を口にするのは結局のところ「やりません」と言っているようなものだ。加えてこの時の逃げ口上に「どうせできません」という否定語がつく。やりもしないのに。

 

 さて信用信頼は一時では得られない。継続する時の力が要る。配置業が幾多の困難を乗り越え、今日まで三百五十年余の長きにわたって続けてこられたのはその場限りの一時ではなく、長い時をかけてお客様に密着し、ふれあいを何よりも大切にしてきたからだ。前の東日本大震災では家にある置き薬のおかげで助かったというお客様からの声がメディアに取り上げられた。道路寸断、水没、損壊の惨状のなか、いざという時に役に立つ配置薬の真骨頂とその社会的価値が高く評価されたところだ。

 

 その昔各地で干ばつ、飢きんが起れば、真っ先に旅支度をして食料を背負い、お客様のもとに配って歩いた先人たちの心意気と殊勝な行いを思いおこす。そこにはお客様は家族同然という心の絆で結ばれているからだ。

 

 置き薬は薬を置く前に心を置く。信用信頼づくりに重きを置く。先にお客様に喜んで頂いて喜びを分ち合う「先用後利」の理念がここにある。私たちは単なる通り一遍の物売りではない。時を重ね継続の価値をよく熟知するところだ。今後とも立派な先人に習いこの理念をしっかりと継承していかなければならない。

 

 つくづく思う。歴史と伝統の配置業の誇りと素晴らしさを。

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