思うままに No.252

   

※エッセー「思うままに」より 〜毎月更新〜

 

 

 はや12月、師走に入った。どうやら時計の針は忙しさに比例して進む速度が加速する。また齢を重ねる度に速まる。

 

 時間は誰にでも平等に与えられるが、その使い方は千差万別不平等だ。時間は残念ながら一秒たりとも生産できないが工夫次第で増産できる。

 

 さて日常のことよくもよくもいまわしい事件が起きるものだ。その度に何でだと怒り心頭、切ない気持ちになる。いつも思う、そうなるまでに一体全体周りの人は何をやっていたのかと。ほとんどのことは気を付けていれば防げたのではないかと。

 

 犯罪者も皆同じように生まれたときは天使のような赤ちゃんだったはずだ。生を受けるというのは天文学的な奇跡と言っていい。人は間違うことなく神より厳選されて生まれてきたのだ。さらに世界70億人の内の唯一の一人だ。誕生したとき、親は愛しい初々しい赤ちゃんに元気ですくすく丈夫でいい人いい人生を歩んで欲しいと心底より願ったに違いない。そんな深い愛情と期待に抱かれて、祈るようにして慈しみ育てられてきた。

 

 ところが成長発達していくなかでどこでどう間違ったのか、一転して天使が悪魔に変身する。人を傷つけ殺める犯罪者へと落伍していく。何と不条理、理不尽なことか。

 

 諸々の事件でとりわけ青少年の犯罪ほど胸が痛むものはない。世の宝が何故に悲惨な事件を起こしてしまうのか、やるせなく悔まれて仕方がない。どれもこれも社会や環境のせいと十把一絡げでかたづけられてしまうが、家庭、地域、学校の社会をつくっているのは一人ひとりの大人たちではないか。他人事ではなく自分事として果す責務と役割を自覚し、深い関心と関与をもって大事に至る前に小さな芽を摘んでいく実践しかない。

 

 いま小生も母校亀崎中学校同窓会の会長を仰せつかっている立場から、年々増え続けるいじめの問題について、入学式・卒業式・学校祭などの行事を通して努めてくり返し話をさせて頂くところだ。

 

 先生や父兄には「取り越し苦労をせよ。子供たちの日常を注意深く観よ。」と。

 

 一方生徒たちには「いじめは絶対にやってはいけない。いかなる理由があろうともそれを正当化はできない。」、「いじめる奴は心が弱いのだから哀れな奴情けない奴と思え。だからそんな愚かな奴に振りまわされることはない。反対に同情してやれ。」と。「もしいじめにあったら誰でもいい直ぐに相談せよ。決して自分だけでかかえこむな。」、「いじめを見て見ぬふりをする奴は卑怯な奴だ。いじめる奴よりももっと悪い。」、「常に考えよ、自分の言動が相手にどう思われるのか、相手の身になってみよ。」と。

 

 機会あるごとにこんなことを口酸く言い続けていくことが、いま小生にできる役目ではないかと思っている。

カテゴリー:エッセー「思うままに」
思うままに No.251

   

※エッセー「思うままに」より 〜毎月更新〜

 

 おおよそ人の正体が現われるのは好調、順境にあることよりもむしろ不調、逆境におかれたときだ。悪い状況のときにこそほんとうの人となりが見える。とりわけ物、金の利害がからむときほど如実に現われる。

 

 <貧すれば鈍する>と言われるように、貧すると偉そうなことを言っていた人でも愚かになる。大義なく物金に執着する余り、善悪の判断を誤り道義の意識も鈍ってついには悪事を働くようになる。そして身も心も腐っていくと同時に我欲から罪のない人までも巻き込んで害を及ぼす。

 

 <貧にして楽しむ>のように貧にあっても信義を踏み、人に迷惑をかけず楽しんで生活をするような心境には凡人はなかなかなれないものだ。身近かな日常においてもっとも人の正体が現れるのは勝ったときよりも負けたときに、出会いのときよりも別れのときだ。負けたときには一切恨み言泣き言を言わず、言い訳もせずサバサバといさぎよい振舞いには好感がもたれるし、次の期待ももたれる。内心は悔しくて仕方がないところだが。そしていさぎよさは捲土重来を期しての決意を固め何よりも自分に対しての励ましになる。

 

 また出会いのときは多くは好印象をもってもらえるよう愛想を振りまき見栄えよく、パフォーマンスをして飾り立てるものだが、実のところは別れのときにこそいっそう心を砕くことだ。

 

 <旅の恥はかきすて>のように今後再び会うこともなかろうと高をくくって礼を失しぞんざいな振舞いになりがちだ。別れは会うの始まりなのだ。世間は狭い。いつか、どこかで誰かと直接間接に関わりつながっているのだ。人間の関係は点で考えてはいけない。縦横斜めに線、面、立方体へと自分の与り知らないところで人脈はつながっていることを承知しておくことだ。

 

 その場かぎり後は知ったことではないと人の道をはずれればいつかは手痛いしっぺ返しを喰う。ときにはやむを得ず、人様から金を借りようとするときなどはいつになく物腰やわらかく丁寧に趣旨説明をするものだが、いったん断わられた際には、さっきまでの低姿勢はどこへ行ったのやら手のひらを返すように態度が急変する人がいる。

 

 また無念そうに落胆するがひととおりお礼を言って接する人そのあり様はいろいろだ。その際に相談、頼みを受ける側も親身になって耳を傾け、最善の解決策を一緒になって考えたところだ。熟慮の末申し出はお断りしたものの、月日が経つにつれその後は彼はどうしているのかと内心は気がかりで仕方がない。心ある人ならば例え結果が自分の意に反したとしても親身に相談にのってくれたことに礼儀として状況報告をするべきように思う。

 

 いずれにしても頼み事は結果がどうであれ、その後始末のあり様いかんで人の真価は決まる。

カテゴリー:エッセー「思うままに」
思うままに No.250

   

※エッセー「思うままに」より 〜毎月更新〜

 

 小生などは日常茶飯事のことだが思いこみから勘違いをしたり人に迷惑をかけたりしてよく冷や汗脂汗をかく。思いこみというのは厄介なもので、自分の記憶や認識が正しいものと頭から決めこむことによる。この弊害は硬直的で柔軟性を欠くことから、思いなおしてみることや、また新しい発想は生れない。

 

 せっかくの人様からの有り難い情報や助言を頂いているのに思考がまひして愚をおかす。思考も行動もブレーキがかかり、とどまったままでは前に歩を進められない。また思いすごしも過敏になっていいことはない。ああでもない、こうでもないと余計な思考が邪魔をして堂々巡り、いっこうに埒があかない。

 

 人間は思考の動物であるが故に長足の進歩発展を遂げてきたが、その反面前進を阻む思いこみや思いすごしの呪縛にもかかり易い。日々私たちは何かにつけて、何がしかの判断をして事に当る。とりわけ重い案件になるほどその精度を高めるために、できる限り他からの情報を求めようとする。ただし情報にはつねに正否が混在していることをとくと認識しておかなければならない。

 

 またよくあることだが、考えすぎて(熟考とは違う)問題の核心からはずれてしまい適切な判断を誤ることがある。そういう時には思いこみや思いすごしに陥らないよう一度風を入れ、間をおくといい。頭を空っぽにし、改めてリセットすると脳は呪縛から解放されて一息をつくことで細胞が蘇生し活性化し始める。

 

 また難題につき当ったら、いったん初心や基本にかえる習性を日頃よりつくっておくことだ。わざわざ事を複雑にする愚を避け要点を絞るといい。とりわけ人間関係の悩みや歪みなどの原因は相手がどうのこうのというより、むしろ自分の思いこみや思いすごしによる心の処し方に問題がある。見る自分の心のレンズが歪んでいれば自ずと被写体である相手も歪んで映る。

 

 ときには思いなおしてみると案外に人の景色が変ることに気がつき、思ってもいなかった相手のよい面を新しく発見できる。決めつけず固まらず柔らかい心と頭をもてるように意識したいものだ。

 

 そもそも相手に変ってもらうことよりその前に自分を変えることだ。自分のことを棚に上げておいて相手に変ってほしいというのはおこがましいというものだ。その主たる原因は思いやりの欠如、強い依存心、錆ついた固定観念、そして自己中心的な身勝手から起きることを折にふれて思いなおしてみることだ。

カテゴリー:エッセー「思うままに」
アクセスカウンター
アクセスカウンター
プロフィール
カテゴリー
カレンダー
S M T W T F S
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
27282930   
<< November 2016 >>
最新記事
QRコード(モバイル)
qrcode
リンク
ARCHIVES