思うままに No.258

   

※エッセー「思うままに」より 〜毎月更新〜

 

 ある会合で御年90になられる方と運よく席を共にした。とても若々しくかくしゃくとして話しぶりといい仕草といいその年には見えない。その秘けつを尋ねてみたら「くよくよしない。元気にする。感謝の心をもつ」である。想定通り長寿の方々がよく口にする言葉が返ってきた。

 

 さらに続けて「不幸は財産になる」と、一瞬聞き違いかなとわが耳を疑ったがその意味を問い返した。

 

 「強がりで言うのではない。年寄りのたわ言と聞いてもらってもかまわない。不幸は誰にでも訪れるものだ。望まなくてもくる。できることなら避けたいところだ。辛いことだが嘆いても詮ないこと。そういうときにはいさぎよくさらっとそのまま受けとめることだ。長い人生にはどうあがいてもどうにもならないことがある。だからさらっとだ。

 

 他を恨んだり責めたりするのは愚の骨頂だ。そういうことを思っているからますます気分は泥沼の深場にはまるのだ。何が起きても最後にはなるようになるから大丈夫だ。それはそれで踏ん切りをつけて、その辛い経験を何かのときに活かすことに思いを巡らせよ。その教訓を生きる知恵にして後のために貯金をしておけ。この貯金が長い人生を生き抜くかけがえのない財産になる。」と。表情はおだやかだがきりっと眼光がひかる。

 

 幸も不幸も同根だ。いずれも心の内ではときに対立し、ときに融和し同居している。幸、不幸は表裏一体、定まらず幸が不幸に、不幸が幸に変転する。ただし知恵を活かし心の処し方次第で物事は好転する。日常体が不具合になったり大切な人や物、時や所を失くしたりで様々なことが起こる。それでも思いがけない不幸が心のもちようひとつで打って変わって人を輝かせることはよくあることだ。

 

 幸せは数量で計れるものではない。ましてや他人と競うことでもなく比べるものでもない。遠い所ではなく身近のちょっとした所に潜んでいる。幸せは仕合せとも表わす。お互いに心を合わせ自分のでき得ることを精一杯仕え合うことを意味する。仕合せは自分と相手、両者の心を尽す共同作業だ。そのもとは感謝の心だ。また感謝する心をもてばおのずと相手からも感謝されたい思いが芽生え行動へと駆り立てられる。

 

 ある結婚式での新婦のスピーチは今もなお耳に残る。「これから先、どんな不幸に見舞われても、二人で力を合わせていく覚悟です」と。普通のスピーチは「これから二人で幸せな家庭を築いていきます」であるが。

 

 寒さに震える人ほど太陽の暖かさを感じるものだ。人生の不幸をいくつもかいくぐってきた人ほどほんとうの優しさや強さ、そして感謝の念が深まっていく。

カテゴリー:エッセー「思うままに」
思うままに No.257

   

※エッセー「思うままに」より 〜毎月更新〜

 

 <情けは人の為ならず>はしばしば誤って使われる。人に情けをかけることは自分にも相手にも為にならないと。

 

 正しくは情けを人にかけるのはその人の為になるわけではなく自分がいつ人から情けを受ける立場になるとも限らない。人に情けをかけておけばいつかは巡り巡って自分によい報いが返ってくる。望もうと望まないとに拘らず結局は自分にも返ってくるものだから人にはつとめて親切にせよという意味だ。

 

 さて、日々使う言葉に「ありがとう」と「おかげさま」がある。その発する言葉がリレーのバトンのように人から人へとつなぎ、その連鎖によって互いに支え、支えられ、助け助けられている。

 

 そう考えると前述の情けと同様に、感謝・報恩についても人の為にならずと言える。人から親切にしていただいたことに謝意を表わすことは人として当然のことであるが、そのことはひいては自分の為にしていることなのだ。

 

 感謝するときに大事なことはその後の思いと行いだ。これが人の値打ちを決める。つねに思う。どうしたら少しでもお返しができるかを。お返しは単に物やその多い少ないではない。要は自分なりにできる事を心をこめて行うことだ。

 

 感謝と報恩はワンセットで連動しサイクルする。これが世の習いだ。加えて事には忘れてはならぬことと、忘れなければならないことがある。

 

 自分が人の為にしたことは心にとどめておく必要はない。それはむいて捨てるバナナの皮みたいなものでそのうち腐る。

 

 相手によかれと思って行ったことが後にどこかで恩きせがましくなり不遜を招く。せっかくの善意が悪意ともとられかねない。一方恩を受けたことは忘れないように胸に刻んでおかなければならない。これも相手の為にではなく自分の為にだ。

感謝のできる人は幸せだ。それにとどまらずお返しのできる人はもっと幸せだ。感謝の心は人格を磨いてくれる。報恩の心は信頼を厚くしてくれる。

 

 見事に咲く花を見て思う。花は地中で根っ子が苦闘してしっかりと支えているからこそ咲きそして種子をつくり次へとつないでいく。ここにも感謝と報恩のサイクルが連綿としてくり返される。あらゆるものが、見えないところ、気がつかないところでおかげさまによる大きな力が働いている。

 

 あって当り前、してもらって当り前はそうそう長くは続かない。いずれはそれがなくなると決って理不尽な不平不満を抱く。こういった性根の悪さは自分をも人をも腐らせる。こういう輩は土中に顔をつっこませてみるといい。人の親切や好意、それに伴う苦労が少しは分るであろう。

 

 だから当り前のことが、実は当り前でないと思うことだ。無いと思っていたことが有ったときほんとうの有り難さが身にしみる。

カテゴリー:エッセー「思うままに」
思うままに No.256

   

※エッセー「思うままに」より 〜毎月更新〜

 

 何と言おうか神の仕組んだシナリオなのか、稀勢の里関が春場所にて神がかり的に優勝の賜杯を手中にした。感動感激感涙がうず巻く会場は鳴り止まない割れんばかりの大拍手、横綱の男泣きに皆ももらい泣き。

 

 「泣かないでおこうと決めていたのに、すみません」、「やれることは全部やった。最後まであきらめないという念いでいた。何か見えない力が働いた」と。この涙はうれし涙に違いないがその心の奥底には皆に支えられていまの自分があるという深い感謝の念が自ずとそうさせたのだろう。

 

 あれだけの怪我をおして出場に駆り立てたのは何なのか、休場しても誰もが容認するのに何故なのか。そこには綱をしめる者の使命と責任、やり抜く信念、そして観客の期待に何としても応えたいという一念が痛いほどに伝わってくる。

 

 彼にとっては怪我が痛いのではなくて休むことが痛いのだ。弱いから怪我をするのだと怪我を恥と考える。後日、いま一番やりたいことは何ですかと問われて「けいこです」と。

 

 これからさらに高みを目指すためには、大敵である怪我をしないようにということか。観客がもっとも望むことは全力死力を尽す力士の様だ。相撲に限らず、また勝敗の結果に限らず皆その様を観て惜しみない称賛をおくる。勝ち負けは時の運だが、何よりもその様が問われる。いい勝ち方わるい勝ち方、いい負け方わるい負け方、その内容の良し悪しに価値をおく。

 

 相撲は正しく国技であるが、単なるスポーツでも格闘技でもない。そこには品位品格、礼儀作法を重んじる相撲道がある。その上で心技体を通して力士の魂と魂がぶつかり合うところに観る人をして心を打つ。勝者は謙虚にして勝っておごらず、敗者は腐らず、勝者は敗者を気づかい、敗者は勝者に敬意を払う。これぞ相撲の本来の魅力だ。

 

 相撲には日本の心が宿る。日本人のもつ美と価値が土俵には凝縮される。日本人の日本人たる自覚と矜持を表わす。このことは世界に胸をはれる日本人の心の教育に結びつく。相撲道を通して大人のみならず次代を担う子供たちには格好の学びとなる。その意味で相撲協会や親方衆には広く社会的使命を念頭において強く力士たちの教育指導に注力して頂きたいと切望して止まない。推し進めるそのもとは日々のけいこにある。

 

 さて過日の第40期中期経営計画説明会のなかで年次表彰がとり行われた。その際の受賞者の皆さんの発表には深い感銘を受けた。

 

 「働きやすい職場環境づくり。何でも言える雰囲気づくり、工夫と知識による実践」、「売るとき以上にその後の手紙や電話などのフォローの大切さ、続けて頂いてさらに満足を」、「滞在時間は手短に、ニーズに適った訪問サイクルの徹底」、「フロンティアスピリットの実践」、「一日一日を大切に」、「問題があることは悪いことではない。問題に気づかないことが問題だ」、「責任者は成果の最大化を、仕事に誇りをもって皆のベクトルをあわせる」

 

 誰もが思ったことでしょう、各人とも特別なことをやっているわけではなく、ごく当たり前のことを当たり前にやっていることを。そして皆さんには常に感謝の念が人一倍強いことを。

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