思うままに No.271

   

※エッセー「思うままに」より 〜毎月更新〜

 

 何事も長くやり続けるというのはそれ相当の意志と根気の力が要る。ところが面白いことに、しばらくやり続けているうちに、何とはなしにやらなくては気がすまなくなってくる。洗顔や歯磨きのようにルーチンワークとなったらもうしめたものだ。そしてさらにやり続けていくとやらねばならぬというような義務感や面倒臭さがなくなり習慣となってごく自然体でやれるようになる。継続は力なりでこのことができたら大抵のことは実現するのだが、その理屈は承知していてもついつい止めてしまうのが人間の弱さだ。

 

 そこで誰でも継続を可能にする魔法の言葉があると聞いた。

 

 それは「今日だけは」の言葉だ。通常、人は何かをするとき、先々のことを考えて計画を立て、ことを始めるものだが、これを止めて「今日だけは」の一日に限定してしまうのだ。明日以降のことを考えないようにして、とにかく今日だけは我慢してやってみようと。明日は明日の風邪が吹くで今日だけに限ることによって余計なことを考えるうっとうしさから解放されて気が楽になるということか。

 

 これを日々新たにくり返すことによって継続する力が身につく。またいつの日にか機会があればとか来週来月というような言葉を口にするのは結局のところ「やりません」と言っているようなものだ。加えてこの時の逃げ口上に「どうせできません」という否定語がつく。やりもしないのに。

 

 さて信用信頼は一時では得られない。継続する時の力が要る。配置業が幾多の困難を乗り越え、今日まで三百五十年余の長きにわたって続けてこられたのはその場限りの一時ではなく、長い時をかけてお客様に密着し、ふれあいを何よりも大切にしてきたからだ。前の東日本大震災では家にある置き薬のおかげで助かったというお客様からの声がメディアに取り上げられた。道路寸断、水没、損壊の惨状のなか、いざという時に役に立つ配置薬の真骨頂とその社会的価値が高く評価されたところだ。

 

 その昔各地で干ばつ、飢きんが起れば、真っ先に旅支度をして食料を背負い、お客様のもとに配って歩いた先人たちの心意気と殊勝な行いを思いおこす。そこにはお客様は家族同然という心の絆で結ばれているからだ。

 

 置き薬は薬を置く前に心を置く。信用信頼づくりに重きを置く。先にお客様に喜んで頂いて喜びを分ち合う「先用後利」の理念がここにある。私たちは単なる通り一遍の物売りではない。時を重ね継続の価値をよく熟知するところだ。今後とも立派な先人に習いこの理念をしっかりと継承していかなければならない。

 

 つくづく思う。歴史と伝統の配置業の誇りと素晴らしさを。

カテゴリー:エッセー「思うままに」
思うままに No.270

   

※エッセー「思うままに」より 〜毎月更新〜

 

 <類は友を呼ぶ>で似た者同士が交わる。いい人のところにはいい人が寄り、わるい人のところにはわるい人が集まる。

 

 友ほど大切なものはない。つきあっている友を見れば大体その人のことが分る。友に恵まれると否とでは人生に違いがある。人生は山あり谷あり何か事が起きたときに頂く助言や支援に救われることが何と多いことか。だからよく見て友を選ぼう。またよき友のほうから望まれ選ばれる人になりたいものだ。よき友を得ようと思えばそれに値するよう先ず自分を磨き高めることだ。

 

 このことは、日々職場を共にする人たちを友に置き換えても同じことが言える。マイナス思考の人とつきあっていると知らず知らずのうちに染まる。消極的な人とつきあっていると消極人間になっていく。運のわるい人と一緒にいると伝染する。

 

 反対に頑張っている人とつきあうと頑張れるようになる。志の高い人、希望に燃える人とつきあうと何とはなしに、その気概に触発されて、自分も目的目標をもてるようになり頑張れる。善きにつけ悪しきにつけ人は交わる人によって感化され易いが、悪しきにはウイルスの感染を防ぐ免疫力が要る。免疫力をつくるには礼節を守り、流されないよう是は是、非は非を分別するよう努めることだ。

 

 そこでだ。周りの人から友として信頼に足る人かどうかの評価は、やはり人間性が現われる日頃の態度や言動によって決まる。案外、人は自分のことは棚に上げて人の振る舞いにはよく見ているものだ。たまにはその見る目を自分にも向けたらどうか。

 

 さてマイナス言葉、消極言葉、人のせいにする言葉は百害あって一利なし。それらの言葉を口にすれば真っ先に人よりも自分が損傷を受けることに気がつかなければならない。悪い言葉は罪なことに人をも自分をもダメにする。一方励ましや勇気や希望に満ちたいい言葉は全身の細胞に染みわたりいきいきと賦活する力がある。また人間には口は一つ、耳は二つになるよう神様がおつくり頂いた。言うのは半分にし、聞くのは二倍にしてコミュニケーションを図れという仰せだ。

 

 賢い人、優れた営業マン、できる上司等々は話す力よりも聞く力がいかに大事かその効用をとくと熟知している。説得力の別名は聞く力だ。聞く力とは相手のことをよく理解する力を言う。相手の言わんとすることに積極的な受身で耳を傾ける。その上で自分事として一緒になって、より良い方向、方法を導き出す協働の力だ。相手との距離が縮まり安心感と信頼感が生れる。

 

 ついでに、最悪のコミュニケーションは場の雰囲気をわきまえず、自己満足に浸りダラダラと続ける長話だ。聞いているほうはふりをするが上の空だ。肝心な話はできる限り要点を簡潔にまとめて話すことが望ましい。いたずらに時間をかけるほど、ますます主旨は伝わらないことを承知しておこう。

カテゴリー:エッセー「思うままに」
思うままに No.269

   

※エッセー「思うままに」より 〜毎月更新〜

 

 健康寿命が延びていよいよ人生100年の時代の到来だ。ますます高まる健康志向や予防医学、医療の進歩によるところが大きい。この頃の60歳は昔の40歳で元気ハツラツ、実に若々しい。齢を重ねていくたびに若い時以上に生きがいややりがいをもつことが人生をおくる上でいかに大切なことかと考えている。それ故にさらにコクのある人生にできる。生きがいもやりがいも人に言われてもつものでもないし、人に代ってやってもらうものでもない。

 

 自ら希望し自主的にもつものだが、どういう訳か、もてない理由に環境や条件が合わない、整わないからとへ理屈をこねたり、人から与えられるものだと勘違いも甚だしい輩もいる。それも年配者よりも若者に多いような気がする。心配なことだ。人生これから先が長いというのに、さして夢もなければ目標もなく、なんとなく無為な日々をやり過ごす。覇気がなく受身で依存心が強い。また感謝の気持も薄いようだ。生きがいの意味ぐらいは知っているのだろうが、それをもてないのは周りのせいだ、社会が悪いからだと他のせいにしたがる、もったいない人生をおくる。

 

 ついでのことだが、日々おぞましい事件が後を絶たないが、犯罪者は共通して職にも就かず、身勝手で依存心が心の内に巣くっているのではないかと思う。他のせいにすることは許されるものではない。何だろうがかんだろうが犯した張本人が悪なのだ。にもかかわらず非道な事件が起きたのは少なからず社会の責任などと心ないご託を並べ、またそれに迎合するような風潮が危うい。また罪を償うにおしなべて加害者に甘く被害者のことを思うと胸が痛む。

 

 さて人生には生きがいはまさに生きていく命の証だ。それがないと萎える。実りある人生にするためには、生きがいとは即ち目標、希望をもつことだ。そこに日々の充実感を得ると共に、何よりもその向こうに喜んでくれる人の顔を見ることができる。

 

 加えて生きがいは自分のことよりもむしろ他に対してのほうが熱意も大きくなる。自分のことだと、まあいいかと途中で投げ出したり、手を抜いたりしがちだが他のためにということになるといっそう思いの力も強まる。大抵の人は日頃より何か生きがいはないかと探し求めるが、その一方できることなら苦労をしたくない、平穏無事で過ごしたいと考える。

 

 そもそも生きがいはそれ相当の苦労をしてカベを乗り越えていくときに実感する。ところがだ、いざカベに突き当ると、いとも簡単に意趣返して逃げ出す輩に限ってどこかに手軽な生きがいはないものかとあてのない、ないもの探しをするところが滑稽で哀れに映る。

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