思うままに No.276

   

※エッセー「思うままに」より 〜毎月更新〜

 

 <無用の用>という言葉がある。世の中で無用とされている物も活用の仕方によっては大いに役立つもので無駄なものはない。また一見したところ用途のないものが実際は人間の知見を超えた働きがあるという意味だ。

 

 このことは物に限らず人にもあてはまる。人は何かしらの役割をもってこの世に生を受けた。日常で交わす約束やそれぞれが担う役割を果すことによって万事は円滑に運ばれる。そこに互助と信頼のきずながつくられていく。

 

 さて青森県に恐山菩提寺という有名な供養のお寺がある。亡くなった人の氏名と命日、そして故人に一言、自分の念いを石に書いて境内に奉じ祈願するというものだ。連日全国から大勢の人でにぎわう。

 

 寺の人言わく、「この一言メッセージでもっとも多く書かれるのは何でしょうか」と皆さんに尋ねると、大抵は『ありがとうでしょう』と答えるそうだ。ところがさにあらずで一番多いのは「またあなたに会いたい」で「ありがとう」は二番目だそうだ。

 

 ありがとうの言葉は言う人にとっても言われる人にとっても双方が嬉しい気分になるのもだが、周りの人やお客様から「またあなたに会いたい」「あなたと一緒に仕事がしたい」「今度はいつ会えますか」等と言ってもらえるようになるとしたら、これに勝る至福はない。と同時にもっと人から愛され親しまれるよう向上心をもってますます自分を磨き高めていきたいと思いも強くなる。

 

 さらに続く「ご遺族に頼まれて日々たくさんのご祈祷を勤めるのが私の役割ですがその中で心底きついと思うのが幼くして亡くした子供さんのご祈祷です」と。「ほとんどの親御さんが口を揃えておっしゃるのは『この子が生きているうちに親として何もさせてやれなかったことを悔やんでいます』と涙ながらにお話しを聞くのが辛い」と。

 

 そういうときにはこのように話をさせてもらいます。「でも違うんですよ。赤子は何もできなかったということはないのですよ。赤子は生まれた瞬間に立派な役割を果していますよ。だってそうでしょう夫婦のあなた方を一人の子の親にしたのですから。」と。

 

 人は一生いろいろ託された役割をもって世に人に役立とうとする。喜怒哀楽の寄せては返す波に揉まれながらも、くじけず負けず生きがいをもって頑張ることに人生の意義を見出す。

 

 上司と部下、お客様と企業、親と子、先生と生徒といった様々な関わりの中で良き関係を築くにはきちっと約束、役割を果すべく意思と行動の力は欠かせない。至極当り前のことだが、約束、役割を全うしていくことが信頼と信用、生きがい、希望と勇気の力、カベを乗り越える力、個と組織の和と力をつくっていく。

カテゴリー:エッセー「思うままに」
思うままに No.275

   

※エッセー「思うままに」より 〜毎月更新〜

 

 会話は精神と頭脳が織りなす知性と感性の相互作業で、人間の特性をもっともよく表わす活動のひとつだ。もし会話を厳禁にしたら人は幾日耐えられるだろうか。たいへんな難行苦行になることであろう。会話は相互理解を深めるには優れて有用だ。文章も同様であるが、様々な言語を自由自在に駆使して、双方向でコミュニケーションを図れるのは生き物のなかでは唯一人間だけだ。

 

 多種多様の豊富な言葉はたいそう便利だが、使い方次第によっては諸刃の剣になる。ひとつの言葉で励まされ、救われる一方で、言葉によっては受ける傷は刃よりもひどく痛く感じることがある。言葉は人なりで自ずと人柄がでる。手軽に無料で使えるが話によっては人、時、場をよく弁えて使わないと本意ではないことが誤って伝わってしまう。

 

 肝心な話しは要領を得て要点を整理し、短いほうが伝わり易い。加えるに相手の真意をくみとるべく聞く力を磨いて行けば、察する力も養われ、コミュニケーション能力を高めることができる。

 

 さて日常よく使われる言葉に「話せば分る」がある。よく話せば折り合いがつくのにと、事あるごとに外野のほうから批判の声があがる。「話せば分る」を万能のようにして言うが、なかなかそうはいかないものだ。いくら時間をかけて話し合いの場をもってしても何とも埒があかない。そこが当事者の悩ましくもやるせないところだ。

 

 折り合いをつけるには腹を割って話し合えるかどうかだ。相手の胸襟を開くには手前みそや腹蔵があっては通じない。すぐ見抜かれる。人は話の内容そのもの以上に信頼できる人か否かその魂胆を見極めようとする。不都合が起きたときほど、日頃の信頼関係がものを言う。その証しは普段の姿勢や言動にある。その上で一にも二にも誠意をもって臨むことが賢明だ。誠実に勝る知恵はなしだ。

 

 一方で以心伝心のように言わずとも聞かずともお互いにツーカーで通じる究極のコミュニケーションがある。「言わなくても分る」はとりもなおさず「聞かなくても分る」でまさに阿吽の呼吸だ。そもそも信頼は楽境のときより苦境のときのほうが強固につくられる。辛苦を共にするときが深いきずなをつくれる。戦いにあって、生死を共にする戦友はその最たるものだ。

 

 また同じ言葉を使っても言う人によって受けとられ方は違う。聞く人は誰が言ったのか、言う人をみて判断することもある。言葉は生れも育ちも違う。自分とは同じではない人と人、心と心をつなげる無双のコミュニケーションの道具だ。あくまでも信頼をもとに使い方次第で生きも死にもする。

カテゴリー:エッセー「思うままに」
思うままに No.274

   

※エッセー「思うままに」より 〜毎月更新〜

 

 今の人は昔の人と比べると辛抱が足りない。物が豊富ないま贅沢さえしなければさほどの辛抱しなくともどうにか生きていける。豊かになることはいいに決っているが物に恵まれ過ぎるとかえって欲の皮がますますつっぱる。そうして普通では当り前でないことが当り前と勘違いをして心のほうが貧しくなりがちになるのが人の常だ。

 

 また苦労して得たものは自ずと大事にする心が生れるが、たいした苦労もせずに手にしたものは有り難みが薄いから粗末に扱う。この頃は嫌われることを恐れて叱ったり世話をやく人が少なくなった。薄情なことよ。特に辛抱することの大切さを。

 

 辛抱がなければ、何事もやり続けることは難しい。だから直ぐにあきらめたり、へこたれたり、自分の都合のいいように、もっともらしいへ理屈をつけて投げ出す。そうして自らの成長の機会を放棄する。辛抱は他の力を借りずとも頼らずとも要は自分の思いひとつで出来る。辛抱は心棒だ。持続的な弛まない練りと粘りが心の芯を強固にし、やり遂げる力を培っていく。

 

 過日、量販店へ行ったときのこと。売り場の通路で3・4才になろうか男の子がフロアーに体をこすりつけて激しく転げ回る。絶叫するわめき声が店内に響きわたる。その様子はだだをこねて人の気を引こうとしていることが一目で分る。欲しいものを買ってもらえなかったのか、怒り心頭、親への猛烈な抗議のパフォーマンス。これくらいの歳になると想像以上に賢くなってきて、衆人の前でだだをこねれば親のほうが根負けするだろうと計算づくだ。

 

 側を通るお客さんも承知の上で横目に見ながら通り過ぎる。しばらくするとそこへ気のよさそうな老人が見るに見かねて近寄る。暴れるこの手をとって抱き起こそうとする。「どうしたの、どこか痛いの、お母さんはどうしたの」としきりに宥める。向うの物かげに目をやると、身をひそめて我が子をそっと見守る母親の姿が。

 

 恥ずかしながら、そのままにして放っておいて欲しいと、辛そうにしている面持ちが見てとれる。我が子に辛抱させること、何でも思い通りにはいかないことをしつけしようと。周りに迷惑がかかることを承知しながらここが辛抱のしどころ、いま自分が根負けして折れたら、この子はだだをこねれば何でも言うことをきいてくれるものと。

 

 子供のうちにいま、ダメなものはダメと辛抱することを覚えさせておかないと大人になったとき大変なことになると、心配する母親の切なる思いが伝わってくる。この健気な母親に敬意を表し胸の内で頑張れとエールを送ったところだ。

 

 しつけも諸々の教育もされる人よりもする人のほうがうんと辛抱が要る。希望と勇気をもってこそ人は辛抱できる。辛抱が生き抜く力をつくる。

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