思うままに No.253

   

※エッセー「思うままに」より 〜毎月更新〜

 


 明けましておめでとうございます。本年も皆さん家族共々健康でありますよう祈念します。引き続き率先垂範を実践して社業の発展に邁進してまいる所存です。どうぞ宜しくお願いします。

 

 酉年の小生6回目の年男を迎えるにあたり本年は格別な思いをもつところだ。昨年の流行語大賞は<神ってる>でしたが小生も驚くほど公私ともに神っていました。おかげさまで長年のいくつかの願いが叶い、今年はさらにいい方向に向うことになると期待している。

 

 このことは多くの方々からの助けや支えを頂いたことと、天が味方してくれたのだと思っている。それだけにこれからも天に恥じないよう身を正して努めなければと心も新たにするところだ。いずれにしても希望の芽を出すには労を惜しまず丹精を込めて地道な努力を重ねることに尽きる。

 

 昨年は中部経済新聞社さんの強いすすめで「マイウェイ」の欄に11月1日から12月28日まで計48回の記事が連載された。幼少の時代から今日に至るまでの半生と思いを書き綴ったものだ。記憶も記録もおぼつかないなか、日々待ったなしであったが、皆さんの助けを借りてなんとか終了にこぎつけた。原稿づくりは夜を徹して日付が変ることも多々あった。

 

 大変なハードスケジュールではあったが、その時々の自分の歩んできた道を振り返るにはまたとない機会を得た。と同時にあらためてこれからの自分の生き方を考えるにも大きな意味があったように思う。

 

 この間、中部経済新聞社の小島圭司記者さんには何かとご尽力を頂きました。たびたび記者魂のすごさに触れ感動するやら貴重な経験をさせてもらった。

 

 さて今年は昭和53年の第一回から数えて第八回目は市制80周年とも重なり全市挙げての大イベント「はんだ山車まつり」が10月7・8日にわたって開催される。40年前小生が第一回目に関わったこともあって少なからず宿命のようなものを感じるが、おそれおおくも、今回大会の会長を仰せつかった。まことに光栄の至りであるがまたその責務の重さをひしひしと感じる。

 

 「美」をテーマにこのまつりは山車組を始め、市・JC・商工会議所・警察署等々あらゆる行政機関や関係諸団体の理解と協力を得て成り立つ。

 

 加えて昨年末亀崎地区の潮干祭が京都祇園祭や高山祭等33の祭りのひとつとしてユネスコ無形文化遺産に登録されたことから多くのお客さまが予想される。全市民を挙げて来客へのおもてなしと心意気をもって感動感激感謝を頂けるよう今から胸ときめかせ思いを馳せているところだ。

 

 この祭りが盛大にして無事に成功裡に終えることを祈念すると共に、そしてその為には準備万端、手ぬかりのないよう、推し進めることがもっとも大事と決意を強くするところだ。

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思うままに No.252

   

※エッセー「思うままに」より 〜毎月更新〜

 

 

 はや12月、師走に入った。どうやら時計の針は忙しさに比例して進む速度が加速する。また齢を重ねる度に速まる。

 

 時間は誰にでも平等に与えられるが、その使い方は千差万別不平等だ。時間は残念ながら一秒たりとも生産できないが工夫次第で増産できる。

 

 さて日常のことよくもよくもいまわしい事件が起きるものだ。その度に何でだと怒り心頭、切ない気持ちになる。いつも思う、そうなるまでに一体全体周りの人は何をやっていたのかと。ほとんどのことは気を付けていれば防げたのではないかと。

 

 犯罪者も皆同じように生まれたときは天使のような赤ちゃんだったはずだ。生を受けるというのは天文学的な奇跡と言っていい。人は間違うことなく神より厳選されて生まれてきたのだ。さらに世界70億人の内の唯一の一人だ。誕生したとき、親は愛しい初々しい赤ちゃんに元気ですくすく丈夫でいい人いい人生を歩んで欲しいと心底より願ったに違いない。そんな深い愛情と期待に抱かれて、祈るようにして慈しみ育てられてきた。

 

 ところが成長発達していくなかでどこでどう間違ったのか、一転して天使が悪魔に変身する。人を傷つけ殺める犯罪者へと落伍していく。何と不条理、理不尽なことか。

 

 諸々の事件でとりわけ青少年の犯罪ほど胸が痛むものはない。世の宝が何故に悲惨な事件を起こしてしまうのか、やるせなく悔まれて仕方がない。どれもこれも社会や環境のせいと十把一絡げでかたづけられてしまうが、家庭、地域、学校の社会をつくっているのは一人ひとりの大人たちではないか。他人事ではなく自分事として果す責務と役割を自覚し、深い関心と関与をもって大事に至る前に小さな芽を摘んでいく実践しかない。

 

 いま小生も母校亀崎中学校同窓会の会長を仰せつかっている立場から、年々増え続けるいじめの問題について、入学式・卒業式・学校祭などの行事を通して努めてくり返し話をさせて頂くところだ。

 

 先生や父兄には「取り越し苦労をせよ。子供たちの日常を注意深く観よ。」と。

 

 一方生徒たちには「いじめは絶対にやってはいけない。いかなる理由があろうともそれを正当化はできない。」、「いじめる奴は心が弱いのだから哀れな奴情けない奴と思え。だからそんな愚かな奴に振りまわされることはない。反対に同情してやれ。」と。「もしいじめにあったら誰でもいい直ぐに相談せよ。決して自分だけでかかえこむな。」、「いじめを見て見ぬふりをする奴は卑怯な奴だ。いじめる奴よりももっと悪い。」、「常に考えよ、自分の言動が相手にどう思われるのか、相手の身になってみよ。」と。

 

 機会あるごとにこんなことを口酸く言い続けていくことが、いま小生にできる役目ではないかと思っている。

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思うままに No.251

   

※エッセー「思うままに」より 〜毎月更新〜

 

 おおよそ人の正体が現われるのは好調、順境にあることよりもむしろ不調、逆境におかれたときだ。悪い状況のときにこそほんとうの人となりが見える。とりわけ物、金の利害がからむときほど如実に現われる。

 

 <貧すれば鈍する>と言われるように、貧すると偉そうなことを言っていた人でも愚かになる。大義なく物金に執着する余り、善悪の判断を誤り道義の意識も鈍ってついには悪事を働くようになる。そして身も心も腐っていくと同時に我欲から罪のない人までも巻き込んで害を及ぼす。

 

 <貧にして楽しむ>のように貧にあっても信義を踏み、人に迷惑をかけず楽しんで生活をするような心境には凡人はなかなかなれないものだ。身近かな日常においてもっとも人の正体が現れるのは勝ったときよりも負けたときに、出会いのときよりも別れのときだ。負けたときには一切恨み言泣き言を言わず、言い訳もせずサバサバといさぎよい振舞いには好感がもたれるし、次の期待ももたれる。内心は悔しくて仕方がないところだが。そしていさぎよさは捲土重来を期しての決意を固め何よりも自分に対しての励ましになる。

 

 また出会いのときは多くは好印象をもってもらえるよう愛想を振りまき見栄えよく、パフォーマンスをして飾り立てるものだが、実のところは別れのときにこそいっそう心を砕くことだ。

 

 <旅の恥はかきすて>のように今後再び会うこともなかろうと高をくくって礼を失しぞんざいな振舞いになりがちだ。別れは会うの始まりなのだ。世間は狭い。いつか、どこかで誰かと直接間接に関わりつながっているのだ。人間の関係は点で考えてはいけない。縦横斜めに線、面、立方体へと自分の与り知らないところで人脈はつながっていることを承知しておくことだ。

 

 その場かぎり後は知ったことではないと人の道をはずれればいつかは手痛いしっぺ返しを喰う。ときにはやむを得ず、人様から金を借りようとするときなどはいつになく物腰やわらかく丁寧に趣旨説明をするものだが、いったん断わられた際には、さっきまでの低姿勢はどこへ行ったのやら手のひらを返すように態度が急変する人がいる。

 

 また無念そうに落胆するがひととおりお礼を言って接する人そのあり様はいろいろだ。その際に相談、頼みを受ける側も親身になって耳を傾け、最善の解決策を一緒になって考えたところだ。熟慮の末申し出はお断りしたものの、月日が経つにつれその後は彼はどうしているのかと内心は気がかりで仕方がない。心ある人ならば例え結果が自分の意に反したとしても親身に相談にのってくれたことに礼儀として状況報告をするべきように思う。

 

 いずれにしても頼み事は結果がどうであれ、その後始末のあり様いかんで人の真価は決まる。

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