思うままに No.265

   

※エッセー「思うままに」より 〜毎月更新〜

 

 明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いします。

 

 初詣での心得を宮司さんから聞いた。「本来は神様にお願いするものではなく、いまこうして、神前で手を合わせることができることに有り難く感謝することです。他に力を頼むものではなく、自助努力をして運を開いていくことを神様に誓うことです。神頼みではなく、あくまでも自分頼みなのです」と。

 

 <1年の計は元旦にあり> 気分を新たにして、目標を具体的に設定して共に頑張っていきましょう。皆で力を合わせていい年にしましょう。

 

 こんな実験がある。高さ2メートルのバーを簡単にクリアする走り高跳びの選手に、今度はバーを設置せずに跳ばせてみたらどうなるか。何度ともなくトライをするが、とうとう一度たりとも2メートルの高さを跳ぶことができなかったのだ。このことはどんなに優れた能力を有していても、人間は具体的な目標をもたないとそれを十分に発揮することができないということだ。目標をもつということは能力を高め伸ばしてくれる力を得ることである。この力を得て使わない手はない。使えば使うほどに眠れる他の能力も連動してよみがえる。

 

 さて様々な不祥事や悔みごとの原因を考えてみるに、その共通点はすべて自己中心、身勝手な思いから起る。ひと呼吸を入れて心の余裕をもてば、ちょっと待てよと自分の良心に問いかけていたなら、目先や部分ではなく全体や大局を考えていたなら。もう少し相手のことを思いやれば防げたであろうことが多々あるように思う。そんなことをつらつらと思っている矢先にひろさちやさんのいい話に出会った。

 

 その昔、ある村に盲目のお坊さんがいました。ある時檀家に行きその家の主人と話がはずみ気がついたら夜になっていました。お坊さんは「それではこれで」と帰り支度をすると主人は「夜道は暗いのでこの提灯をお持ちください」と言って提灯を差し出しました。それを聞いたお坊さんは「なにをおっしゃるのですか、私の目の見えないことはご存じでしょう、提灯は必要ありません」と。

 

 「いえいえお坊さん、目の不自由なことは先刻承知しております。でもこの提灯をもっておれば、夜道ですれ違う相手が、お坊さんにぶつかることがなくなります」と主人。「これは大変心ないことを申し上げました。仏に仕える身でありながら誠に恥かしい限りです。どうかご容赦ください」と。

 

 お坊さんは自分のことしか考えていなかったこと、せっかくのお心配りに応えられなかったことに詫びながら有り難く提灯を受け取り夜道を帰りました。

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思うままに No.264

   

※エッセー「思うままに」より 〜毎月更新〜

 

 またしても起したかと車による悪質なひき逃げ事件があとをたたない。その度に腹わたが煮えくり返る。

 

 不用意にもやってしまったことは何とも取り返しがつかないが喘ぎ苦しむ怪我人を置き去りにして逃げ去る行為が事故から非道な事件にかえる。「怖かったから、飲酒をしていたから、無免許だったから、頭が真白になったから」等と残忍な犯罪者たちは身勝手な口を揃えて言う。どんな御託を並べようとも、いかなる理由があろうともその卑劣極まる行為は断じて許されるものではない。できるものなら地獄へでも突き落したい思いにかられる。

 

 これらの犯罪者は法の裁きを受け刑期を務めることになるが、犯した罪の重さから一生その痛苦と後悔の念は消え去ることはなくついてまわる。加えて自分のみにとどまらず、家族や周りの人をも巻き添えにして迷惑をかけ負い目を負わせることになる。誰しも好んで事故を起す人はいないが起したあとの人としてなすべき行動が何よりも問われているのだ。車は時には凶器にかわる。その凶器を狂気をもってすれば何と空恐ろしいことになるか。

 

 もし不幸にも事故を起し、人を殺傷してしまったら、そのとき人としてやるべき対応がきちっとできるよう平素より心の備えをしておかなければならない。他人事ではなく、自分にもあり得ることなのだ。

 

 おどろき、あわてふためいて非道にも逃げ去る凶行は絶対にあってはいけない。何よりも生命第一を念頭になすべきことは先ず救助救命を専一にすることだ。この心構えを普段より肝に銘じておくことで、もしものときにためらうことなく実行に移せる。車の事故に限らないが、先々何が起るのか分らないのが人生、いかなる時も冷静に判断するには日頃の心構えが人も自分をも救う。

 

 さて、私たちには有り難くも継続してご愛顧を頂くお客様を始め大切な仲間、商品、情報、お金が関わりながらついてまわる。もし何かが起きた時、過ちのないよう、信頼を損わないようその都度自分の良心に是か非かをきいてみることだ。

 

 人間、独り善がりになると決って心にスキが生れる、その時ここぞとばかり悪魔のウィルスが容赦せず入り込んでくる。魔がさすとはこのことだ。そもそも人間は弱いものだ。それ故に易きに流されて間違いを起す。だからこそそうならないようその侵入を阻止する心の防護壁をつくっておくことだ。

 

 犯罪は軽重を問わず、これをおかすということは、自分のみならず周りの多くの人を傷つけ迷惑をかけるのだ。重々承知し肝に刻んでおこう。

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思うままに No.263

   

※エッセー「思うままに」より 〜毎月更新〜

 

 まさに天・地・人に恵まれ、支えられ助けられた。5年に一度の第八回はんだ山車まつりは「美」をテーマに10月7日、8日の両日にわたって開催された。

 

 初日は天候が心配されたが、皆さんの念いが天を動かした。うそのように昨夜来の雨もすっかり上がり絶好の祭り日和となった。全国各地より海外からも大勢のお客様の来場を頂いた。おおよそ市の人口の5倍の人数だ。思い返せば昭和54年の初回の来場者8万人から回を重ねるごとに増え、今回は55万人を数える全国有数の祭りとなった。街の人曰く55万人の人ひとの重みでまちの地面が沈んだと。

 

 この行事を挙行するに約2年の準備を費やした。半田青年会議所・市商工会議所を中心にあらゆる行政機関、企業そして全市民の協力があってこそ。とりわけ市内全10地区の祭り関係者のご苦労とご尽力がなければ到底できるものではない。この度栄誉ある実行委員会会長を仰せつかり、小生にとっては一生忘れられない貴重な勉強と経験をさせてもらった。何よりも一番心配したことは事故事件のないよう安全安心に挙行できるかどうかにあったが、大過なく無事に終えることができ深く感謝に堪えない。

 

 この祭りは昭和54年に始まった。果敢な挑戦心をもって半田青年会議所の青年たちが幾多の難関を乗り越えて実現をみた。当時の半田市は政争から市長選挙のたびにまちを二分するほどの激しいものとなりその後遺症がいつまでも尾を引き市民の心は荒んでいた。これは何とかしなければと半田青年会議所は立ち上がった。市内全10地区31輌の山車の集結はとりもなおさず半田市民の心を結集することである。まさに地区自慢の31輌の山車の勢揃いは市民の心を一つにする連帯と協調の証であり象徴だ。

 

 招待された県下の市長さんたちも異口同音に半田の市民力と絆の強さに感嘆されていたと聞く。来場のお客様には歴史と伝統を紡ぐ、勇壮にして絢爛豪華な山車絵巻、颯爽たる祭りの人の心意気、半田の美しき心を心ゆくまで堪能して頂いたものと思っている。ご老人曰く「生きていてよかった、生きる糧をもらった」、「こんな凄い祭りは見たこともない、感動感激した」、「市民の皆さんのおもてなしが嬉しい」、「この祭りを末長く続けて欲しい」、「次回は家族友人を連れてきたい」等々有り難い多くの喜びの声を耳にした。

 

 それにしても祭り人の皆さんには言うに及ばず、実行委員会のスタッフの皆さんにも脱帽の一言。使命感、責任感、忍耐力、実行力、団結力・・・加えて2千人余の熱いボランティアの方には心より敬意と感謝の意を表したい。この誇り高い祭りに未来への思いを馳せるとき、さらに進化発展を目指して精進し切磋琢磨していくことに限りない希望と期待を寄せるところだ。

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