思うままに No.254

   

※エッセー「思うままに」より 〜毎月更新〜

 

 若乃花以来、19年ぶりに日本人として稀勢の里関の第72代の横綱が誕生した。小生はもとよりスポーツに限らず日本人びいきというより栄光を勝ち取った者には国籍のいかんに拘らず心より賞賛を惜しむものではない。ただ今回は国技の角界に長らく日本人横綱が不在であったことにいささか寂しい思いをしていただけに率直に言って嬉しい。近ごろは学生出身の力士が増えているなか、中卒からのたたきあげが頂点に上りつめたことは大の相撲ファンの一人としてことのほか喜ばしい。

 

 田子ノ浦部屋は数々の部屋のなかでも相撲道に徹し稽古も最も厳しいと聞く。亡き横綱隆の里の鳴戸親方の指導のもと徹底徹尾、力士としての礼儀作法、心構えをたたきこまれた。

 

 「勝っても負けても表情をかえるな。相撲の美しさは勝っても負けても正々堂々の潔さにある」、「勝っておごりたかぶるな敗者に敬意を払え」と。稀勢の里関が小学生のとき作文にこう書いた。「天才は生まれつきです。もうなれません。努力です。努力で天才に勝ちます」と。

 

 じっと遠くから見守ってきた父親の談話に「これまで息子は相撲をやめたいと言ってきたことは一度たりともなかった。愚痴、弱音を吐くどころか、いつも僕は角界に入ってよかった。お父さん有難うと常々言っていた」と。念願の初優勝を決めたとき「我慢してきてよかった。腐らなくてよかった。あきらめずにやり続けてきてよかった」と。

 

 黙々と愚直にぶれない信念、変にパフォーマンスに走ることもなく仏頂面が彼らしい思いからくるところだ。立ち合いは一切逃げず正道にこだわっての真向勝負、目先の星取りに惑わされず全力を尽すその姿に相撲のだいごみを魅せてくれる。そこに感動を呼び起すほんとうの美と力が凝縮される。ファンは勝敗のみならず力士の振る舞いを観ている。土俵に上がるとき、塩のとり方まき方、仕切り、勝負の後の態度、懸賞金の受け取り方、等々力士の一挙手一投足の全力に全てにわたるものが相撲なのだ。

 

 彼にとってこれがゴールではなく、新たなスタート台に立った。横綱として強さが求められるがそれ以上に品格が大事だ。相撲道の精神、礼儀作法を重んじて力士の範となり角界を引っぱっていって欲しい。その栄えある横綱だ。またこれまでのようにケガの少ない力士として、精進して、愚直に稽古を積み重ねていって欲しい。もうひとつ腰高と脇の甘さを克服して欲しい。

 

 昇進まで長く時間がかかったということは、その分心技体の力を十分に貯えてきたということだ。この貯金を活かせればもっと高みへと上りつめていくことだろう。

 

 努力は人間のもつ諸々の能力のうちで最も価値のある高い能力だ。この能力はもって生れたものではない。あきらめずやり続けて身につく。努力こそ本物の実力だ。

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思うままに No.253

   

※エッセー「思うままに」より 〜毎月更新〜

 


 明けましておめでとうございます。本年も皆さん家族共々健康でありますよう祈念します。引き続き率先垂範を実践して社業の発展に邁進してまいる所存です。どうぞ宜しくお願いします。

 

 酉年の小生6回目の年男を迎えるにあたり本年は格別な思いをもつところだ。昨年の流行語大賞は<神ってる>でしたが小生も驚くほど公私ともに神っていました。おかげさまで長年のいくつかの願いが叶い、今年はさらにいい方向に向うことになると期待している。

 

 このことは多くの方々からの助けや支えを頂いたことと、天が味方してくれたのだと思っている。それだけにこれからも天に恥じないよう身を正して努めなければと心も新たにするところだ。いずれにしても希望の芽を出すには労を惜しまず丹精を込めて地道な努力を重ねることに尽きる。

 

 昨年は中部経済新聞社さんの強いすすめで「マイウェイ」の欄に11月1日から12月28日まで計48回の記事が連載された。幼少の時代から今日に至るまでの半生と思いを書き綴ったものだ。記憶も記録もおぼつかないなか、日々待ったなしであったが、皆さんの助けを借りてなんとか終了にこぎつけた。原稿づくりは夜を徹して日付が変ることも多々あった。

 

 大変なハードスケジュールではあったが、その時々の自分の歩んできた道を振り返るにはまたとない機会を得た。と同時にあらためてこれからの自分の生き方を考えるにも大きな意味があったように思う。

 

 この間、中部経済新聞社の小島圭司記者さんには何かとご尽力を頂きました。たびたび記者魂のすごさに触れ感動するやら貴重な経験をさせてもらった。

 

 さて今年は昭和53年の第一回から数えて第八回目は市制80周年とも重なり全市挙げての大イベント「はんだ山車まつり」が10月7・8日にわたって開催される。40年前小生が第一回目に関わったこともあって少なからず宿命のようなものを感じるが、おそれおおくも、今回大会の会長を仰せつかった。まことに光栄の至りであるがまたその責務の重さをひしひしと感じる。

 

 「美」をテーマにこのまつりは山車組を始め、市・JC・商工会議所・警察署等々あらゆる行政機関や関係諸団体の理解と協力を得て成り立つ。

 

 加えて昨年末亀崎地区の潮干祭が京都祇園祭や高山祭等33の祭りのひとつとしてユネスコ無形文化遺産に登録されたことから多くのお客さまが予想される。全市民を挙げて来客へのおもてなしと心意気をもって感動感激感謝を頂けるよう今から胸ときめかせ思いを馳せているところだ。

 

 この祭りが盛大にして無事に成功裡に終えることを祈念すると共に、そしてその為には準備万端、手ぬかりのないよう、推し進めることがもっとも大事と決意を強くするところだ。

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思うままに No.252

   

※エッセー「思うままに」より 〜毎月更新〜

 

 

 はや12月、師走に入った。どうやら時計の針は忙しさに比例して進む速度が加速する。また齢を重ねる度に速まる。

 

 時間は誰にでも平等に与えられるが、その使い方は千差万別不平等だ。時間は残念ながら一秒たりとも生産できないが工夫次第で増産できる。

 

 さて日常のことよくもよくもいまわしい事件が起きるものだ。その度に何でだと怒り心頭、切ない気持ちになる。いつも思う、そうなるまでに一体全体周りの人は何をやっていたのかと。ほとんどのことは気を付けていれば防げたのではないかと。

 

 犯罪者も皆同じように生まれたときは天使のような赤ちゃんだったはずだ。生を受けるというのは天文学的な奇跡と言っていい。人は間違うことなく神より厳選されて生まれてきたのだ。さらに世界70億人の内の唯一の一人だ。誕生したとき、親は愛しい初々しい赤ちゃんに元気ですくすく丈夫でいい人いい人生を歩んで欲しいと心底より願ったに違いない。そんな深い愛情と期待に抱かれて、祈るようにして慈しみ育てられてきた。

 

 ところが成長発達していくなかでどこでどう間違ったのか、一転して天使が悪魔に変身する。人を傷つけ殺める犯罪者へと落伍していく。何と不条理、理不尽なことか。

 

 諸々の事件でとりわけ青少年の犯罪ほど胸が痛むものはない。世の宝が何故に悲惨な事件を起こしてしまうのか、やるせなく悔まれて仕方がない。どれもこれも社会や環境のせいと十把一絡げでかたづけられてしまうが、家庭、地域、学校の社会をつくっているのは一人ひとりの大人たちではないか。他人事ではなく自分事として果す責務と役割を自覚し、深い関心と関与をもって大事に至る前に小さな芽を摘んでいく実践しかない。

 

 いま小生も母校亀崎中学校同窓会の会長を仰せつかっている立場から、年々増え続けるいじめの問題について、入学式・卒業式・学校祭などの行事を通して努めてくり返し話をさせて頂くところだ。

 

 先生や父兄には「取り越し苦労をせよ。子供たちの日常を注意深く観よ。」と。

 

 一方生徒たちには「いじめは絶対にやってはいけない。いかなる理由があろうともそれを正当化はできない。」、「いじめる奴は心が弱いのだから哀れな奴情けない奴と思え。だからそんな愚かな奴に振りまわされることはない。反対に同情してやれ。」と。「もしいじめにあったら誰でもいい直ぐに相談せよ。決して自分だけでかかえこむな。」、「いじめを見て見ぬふりをする奴は卑怯な奴だ。いじめる奴よりももっと悪い。」、「常に考えよ、自分の言動が相手にどう思われるのか、相手の身になってみよ。」と。

 

 機会あるごとにこんなことを口酸く言い続けていくことが、いま小生にできる役目ではないかと思っている。

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